「産後うつ」の中で国政選挙に出馬。「異色の経歴」を持つ伊藤孝恵が政治家になった理由
子への理不尽を嘆くのではなく、それを変えられる母になりたい
――特にどういった制度を変えたいと思われたのでしょう。 伊藤:障がいのある子どもたちを取りまく制度です。私が亡くなったあと、一側性難聴を持つ次女はどういうところで学び、働くのか。そして私がいなくなったあとの日本は、どういう社会になるのかーー今まで考えたこともなかったような未来を、娘の障がいと向き合うなかで初めて調べたんです。 すると、現状ある制度はどこか冷たいというか、自己責任のような印象がある。その一方で、障がいのある人たちを守ってあげるよというスタンスで作られている法律が、実はその人たちの生きる場所を制限していたりもする。報道記者をやっていたのにそういった問題に気づかなかったのかと言われるとお恥ずかしいのですが、当事者になって初めて見えることがたくさんありました。 ――政治家になると決めたとき、旦那さんからの反対はありましたか? 伊藤:旦那は産後うつ状態の私を見て、もしかしたら次女を抱っこしながら飛び降りてしまうのではないかと思いずっと見張っていたらしいんです。そんな中で私が、「世の中は障がいのある人に優しくない、理不尽だ不公平だと愚痴を言いながら生きるのではなく、だったらそれを変えてやる!と立ち上がる、母としての人生を生きたい」と言って立候補することを伝えた時、夫は「うちの妻は変わっとるな」と思ったらしいんですけど(笑)、一方で、どん底からV字回復してポジティブになった姿を見てホッとしたようです。 その分、夫の育児負担や家事負担が増えたわけですが、それでも今こうして私と子どもが生きていていることに感謝しているそうです。夫が酔っ払ったときに私の仲間たちに言ったのを、私が又聞きしただけなんですけど(笑)。
家族との時間も大切にしたい…怒られながらも貫いた、独自の選挙法
――素敵なご夫婦です。伊藤さんは2022年の参議院選挙で、愛知県選挙区で初めて二期目の当選を果たした女性議員になられたそうですね。 伊藤:そうなんですよ。150年の歴史の中で、愛知県では「二期目の壁」を突破した女性議員はいなかったんです。国が性別役割分担意識に対する全国調査(※)を実施しているんですが、「夫は外で働き、妻は家庭を守るべき」という考え方に賛成と回答した人が全国平均では35%なのに対し、愛知県だけに限るとそれが40.7%に上がるんです。さらに愛知県の男性だけに限ると、46.5%に跳ね上がる。 一概には言えませんが、そうした地域的な価値観は多少なりとも背景にあると思います。 ※県民文化局「男女共同参画意識に対する調査」(2019年)および、内閣府「男女共同参画社会に関する世論調査(2019年)。 ――その中で、選挙戦も独自の戦い方をしていましたよね。 伊藤:本当にいろいろな方々から怒られましたけど、朝8時から夜8時までしか選挙活動はしない、という戦い方をしました。ふつうは、始発から終電まで駅に立って、声を枯らして選挙をするわけですが、私の中では、「なんで選挙中だけ頑張るんだ」という疑問がありました。私は一期目の6年間、頑張ってきた。なので、選挙期間中もふつうの生活を続けながら、頑張ってきたことを訴えればいい。ある一定の期間、ろくに家族にも会えないなんて、おかしいですよね。日常の延長線上に選挙はあるべきだと思うんです。 選挙の当たり前を変えないと、後に続く人にも疑問を抱かせながら選挙をやらせることになる。私が叩かれながらもあの戦い方をして当選したことで、一つ獣道が開通されたと思っています。