「あなたという人がいないのに、時は過ぎる」安倍元首相国葬(全文)※追悼の辞のみ
参院選の遊説中に銃撃され亡くなった安倍晋三元首相の国葬儀(国葬)が、27日午後2時から日本武道館(東京都千代田区)で行われた。国会議員、海外の要人、地方公共団体代表、各界代表らが参列し、岸田文雄首相・菅義偉前首相らが追悼の辞を述べた。 【動画】安倍晋三元首相の国葬 岸田首相ら追悼の辞 ※追悼の辞のみ書き起こしています。 ◇ ◇
岸田首相「痛恨の極み」
岸田:従一位、大勲位菊花章頸飾、安倍晋三元内閣総理大臣の国葬儀が執り行われるに当たり、ここに政府を代表し、謹んで追悼の言葉をささげます。 7月8日、選挙戦が最終盤を迎える中、安倍さん、あなたはいつものとおり、この国の進むべき道を聴衆の前で熱く語り掛けておられた。そして、突然それは暴力によって遮られた。あってはならないことが起きてしまいました。いったい誰がこんな日が来ることを寸毫なりとも予知することができたでしょうか。安倍さん、あなたはまだまだ長く生きていてもらわなければならない人でした。日本と世界の行く末を示す羅針盤として、この先も10年、いや20年、力を尽くしてくださるものと、私は確信しておりました。 私ばかりではありません。本日、ここに日本の各界各層から、世界中の国と地域から、あなたを惜しむ方々が参列してくださいました。皆、同じ思いを持って、あなたの姿にまなざしを注いでいるはずです。しかしそれはもはやかなうことはない。残念でなりません。痛恨の極みであります。
インド太平洋という概念を初めて打ち出した
29年前、第40回衆議院議員総選挙にあなたと私は初めて当選し、共に政治の世界へ飛び込みました。私は同期の1人として、安全保障、外交について、さらには経済、社会保障に関しても、勉強と研鑽にたゆみなかったあなたの姿をつぶさに見てまいりました。何よりも、北朝鮮が日本国民を連れ去った拉致事件について、あなたはまだ議会に席を得るはるか前から強い憤りを持ち、並々ならぬ正義感を持って関心を深めておられた姿を私は知っています。被害者の方々をついに連れ戻すことができなかったことは、さぞかし無念であったでしょう。私はあなたの遺志を継ぎ、一日千秋の思いで待つご家族の元に拉致被害者が帰ってくることができるよう、全力を尽くす所存です。 平成18年、あなたは52歳で内閣総理大臣になりました。戦後に生を受けた人として初めての例でした。私たち世代の旗手として、当時あなたが戦後置き去りにされた国家の根幹的な課題に次々とチャレンジされるのを期待と興奮をもって眺めたことを今、思い起こしております。私たちの国、日本は美しい自然に恵まれた、長い歴史と独自の文化を持つ国が、まだまだ大いなる可能性を秘めている、それを引き出すのは私たちの勇気と英知と努力である。日本人であることを誇りに思い、日本のあすのために何をなすべきかを語り合おうではないか。 戦後、最も若い総理大臣が発した国民へのメッセージはシンプルで明快でした。戦後レジームからの脱却。防衛庁を独自の予算編成ができる防衛省に昇格させ、国民投票法を制定して、憲法改正に向けた大きな橋を架けられました。教育基本法を約60年ぶりに改めて、新しい日本のアイデンティティーの種をまきました。 インドの国会に立ったあなたは、2つの海の交わりを説いて、インド太平洋という概念を初めて打ち出しました。これらは全て今日に連なる礎です。そのころ、あなたは国会で、総理大臣とはどういうものかとの質問を受け、溶けた鉄を鋳型に流し込めばそれでできる鋳造品ではない、と答えています。たたかれて、たたかれて、やっと形を成す鍛造品、それが総理というものだと、そう言っています。鉄鋼マンとして世に出た人らしい例えです。 そんなあなたにとって、わずか1年で総理の職務に自ら終止符を打たねばならなかったことくらいつらいことはなかったでありましょう。しかし私たちはもうよく承知しています。平成24年の暮れ、もう一度総理の座に就くまでに、あなたは自らをいっそう強い鍛造品として鍛えていたのです。