今、直面している過激化した振り子とは? 日中国交正常化50周年に考える
過激思潮と感染症
しかし現在、世界を見わたすと、どこでも保守が過激化しているように感じる。ロシアのウクライナ侵攻が最たるもので、これは完全に衝突と破壊に至った例である。伝えられる戦況から判断すると、ロシアの戦略は過激をとおりこしてすでに狂気とも感じられる。 中国の軍事力拡大と台湾をめぐる軍事演習も過激化しているし、また西側との情報産業競争も半導体をめぐって激化している。北朝鮮の指導者は過激を絵に描いたような人物である。アメリカのトランプ前大統領も、過激であることを政治信条とし交渉材料にするような人だった。2021年1月6日の議会襲撃やこのところ報道されている機密文書のもちだしも過激な行動であり、また過激な人事も数えきれないほどだ。 そして欧州各国の議会でも、このところ極右政党が勢力を伸ばし、イタリアではその女性党首が政権を握りそうだ。日本でもしばらくのあいだ自民党右派がリードした。旧統一教会と国際勝共連合の問題は、過激な右派勢力が長期にわたって保守政党の選挙を支えていたことを露呈させたといえる。 70年前後の大学紛争の渦中におかれていた経験からいえば、思想と行動の過激化は火事に似て、はじめは実に小さな火種からはじまる。次第に燃え広がり、やがて燎原の火のごとく燃え盛る。そうなると誰にも止められない。その過程で、時の政権に対峙する政治運動は内部対立を生じながら、必ずといっていいほど過激化に向かう。 また過激思想の広がりは感染症にも似ている。感染症にかかった者が次の感染源になるように、思想に染まった者が次の思想源になるからだ。したがってその盛期にはネズミ算式に増えて手がつけられない。今回の新型コロナウイルスでも、政府の緊急事態宣言やまん延防止等重点措置にかかわらず、感染が広がるときは広がり、ピークが過ぎると自律的に収まっていくという、ウイルスと人間の関係のリズムのようなものがあることを感じた。 過激思潮の拡大を止めるには、火事や感染症がそうであるように、初期の段階で抑え込むか、あるいは盛期が過ぎて勢いが弱まったタイミングで外力を加えるかどちらかが得策である。過激思潮が危険域に達した場合にはできるだけクラッシュを避けながらピークアウトをまつことであり、クラッシュした場合にはそこに生じる破壊をできるだけ小さくすることである。