新型コロナ感染、酷暑、調整不足…苦難に耐え男子ゴルフの松山英樹が「最後は気力だけで」熾烈な銅メダル争いをした理由とは?
東京五輪会場となった霞ヶ関カンツリー倶楽部は、松山をして「自分が変わった場所」と言わしめる、思い出深いコースでもある。東北福祉大1年時にこのコースで開催されたアジアパシフィックアマチュア選手権を制した松山が、日本人選手として初めてローアマチュアに輝いた翌2011のマスターズ出場権を獲得したからだ。 そのマスターズで頂点に立つ快挙を成し遂げてから約4ヵ月。メジャーチャンピオンとして凱旋し、日本国内で初めてラウンドするコースが霞ヶ関カンツリー倶楽部になったのも、運命に導かれた何かを感じずにはいられない。 「オリンピックがどのような評価になるのかはわからないけど、やはりメダルを獲りたかった、という思いが強かったので悔しいですね」 前回のリオ五輪から実に112年ぶりに五輪競技として復活したゴルフで、初めてとなるメダルを日本にもたらすことはできなかった。それでも、表情をほとんど変えずに戦い抜いた姿を介して、日の丸にかける熱き思いをほとばしらせた松山は5日に開幕するフェデックス・セントジュードへ臨むために、一夜明けた2日にアメリカへ飛び立つ。