偉業達成裏に”囲み取材嫌い”の松山英樹が貫いたぶれないスタイル
日本人として初めてマスターズ制覇の偉業を成し遂げた松山英樹(29)を称賛する声が鳴りやまない。それはそうだろう。過去、青木功氏、尾崎将司氏、中嶋常幸氏の「AON」、丸山茂樹氏、伊沢利光、片山晋呉、石川遼ら日本を代表するゴルファーが跳ね返され続けた海外メジャーの壁を破ったのである。 「ゴルフの祭典」マスターズ。コースは、職業ゴルファーの道を選ばず、生涯アマチュアとして、ある意味で純粋な競技者の立場にこだわった”球聖”ボビー・ジョーンズが作ったジョージア州のオーガスタ・ナショナルGC。全英、全米両オープン、全米プロなど予選会があるチャンピオンシップ(選手権)と異なり、4大メジャーの中でただ一つ、マスターズ委員会による招待競技という、出場権を得るのが最も難しいフィールドでなし得た快挙だった。マスターズには、これまで33人の日本人選手が出場し、松山が132度目の挑戦だった。 前述した日本のビッグネームの戦績を振り返ると、最高位につけたのが2009年の片山と2001年の伊沢の4位。次に続くのが“ジャンボ”尾崎と中嶋の8位、丸山が14位、石川が20位。1980年の全米オープンで、マスターズを6度制している“帝王”ジャック・ニクラスとの死闘を演じて2位に入り、1983年にはメジャーではないがハワイアンオープンで優勝した“世界の青木“でさえ16位止まりだった。 日本ゴルフツアー機構(JGTO)の会長でもある青木氏は「マスターズの優勝にたどり着くまでには、我々には計り知ることのできない、血のにじむような努力を積み重ねてきたことと思います」とコメントを寄せ、テレビ朝日系の「報道ステーション」に出演した際には、その瞬間に「ジーンとして下を向いて寝たふりをしました」と、中継途中に泣いてしまった中嶋氏同様、感動の涙を流したことを明かした。 なぜ日本を代表するトッププロが勝てなかったマスターズで松山が勝てたのか? 逆にそれは松山だからこそ勝てた、と言える必然性がある。 天性と想像を絶する努力…そして貫いたぶれない強靭なメンタルである。