新型コロナ感染、酷暑、調整不足…苦難に耐え男子ゴルフの松山英樹が「最後は気力だけで」熾烈な銅メダル争いをした理由とは?
日本の男子選手として初めてメジャーを制した4月のマスターズでも3日目、最終日をともに戦ったシャウフェレと再び顔を合わせた最終組。前半だけで4つのバーディーを奪ったシャウフェレにリードを広げられ、サバティーニをはじめとする後続の選手たちがどんどん追い上げてきた大混戦で、松山は我慢してパーを重ねていった。 後半は一転して11番(パー4・461ヤード)、12番(パー4・499ヤード)、14番(パー5・625ヤード)でバーディーを奪取する。金メダル争いの緊張からか、14番で初めてボギーを叩いたシャウフェレに1打差まで詰め寄った。 この時点で単独3位にまで盛り返す。目標に掲げてきた金メダルへ、松山自身も「トップに追いついて、追い越せる雰囲気もあった」とわずかながらも手応えを感じていた。しかし、気持ちとは対照的に、身体は限界を超えかけていた。 連続バーディーを狙うもカップ左に外した15番(パー4・403ヤード)で、1mほどの返しのパットを失敗してしまう。続く16番(パー3・203ヤード)と17番(パー4・305ヤード)でも、バーディーパットがカップをわずかにかすめてしまった。 特にシャウフェレに再び3打差をつけられ、金メダルの可能性がほぼ潰えた17番で松山は思わず天を仰いでいる。ホールを重ねるたびに失われていく体力が、パッティングの感覚までをも奪っていったのだろう。松山はこんな言葉も残している。 「今日(の途中まで)もパッティングラインの読みはほぼ合っていたんですけど、自分のなかのフィーリングというものがなくなってからは、ラインも読めなくなってしまった」 最終18番でも2オンに成功した。しかし、決めれば銅メダル獲得が決まる約2mのパットがカップ右に嫌われた瞬間に、同組で回ったポール・ケーシー(44・イギリス)を含めた7人による、銅メダリストを決めるためのプレーオフ突入が決まった。 アメリカツアーにおけるプレーオフの最多は6人だから、東京五輪でつけ加えられた戦いは、通常は優勝者を決めるプレーオフが3位の選手を決めるそれになった点を含めて、ゴルフ界の歴史を塗り替えたことがわかる。マスターズ以外のメジャーを計4度制しているロリー・マキロイ(32・アイルランド)はこんな言葉を残したほどだ。 「3位になるためにこんなに頑張ったのは、人生でめったにないね」 先にホールアウトしていた潘、コリン・モリカワ(24・アメリカ)、ミト・ペレイラ(26・チリ)、セバスティアン・ムニョス(28・コロンビア)が第1グループに、マキロイ、ケーシー、そして松山が第2グループに振り分けられた。 第1グループとマキロイがまずパーをセーブしたなかで、松山が勝負をかけたセカンドショットはグリーンをとらえられない。深いラフから必死にアプローチを試みるもボールはピンを約3mもオーバーし、冒頭で記した終戦を告げるパットにつながった。 18ホールで32を数えた松山のパットは、出場した60人のなかで2番目に多かった。 日本代表を率いる丸山茂樹ヘッドコーチも「体調が万全ではないだけに、後半になると少しバテてくるところもあるかもしれない」と懸念を示していた。図らずも的中してしまったが、悔しさを募らせながらも、松山はいっさい言い訳をしなかった。 「今日は最後の部分がなかなか上手くいかなかった。自分の課題がはっきりしたと思うので、そこを突き詰めていけるように頑張っていきたい」