日本社会の変化「まだまだその途中」伊藤詩織さん会見7月20日(本文3)
被害を語るのは自分自身の回復のために必要な作業
そしたら伊藤さんが言うには、これは伊藤さん、1審の意見陳述でも述べている部分を、今、若干引用しますと、「痛みで目が覚めるまで、記憶をなくしていたという体験は、何年経っても性暴力という被害に加え私を苦しめました。」。性暴力という被害に加えて、その記憶をなくしていたってところが自分を苦しめていたと。「なぜ覚えていないのか?なぜホテルに行ったのか?なぜ目が覚めるまで抵抗できなかったのか?これまで何度も繰り返されてきた質問です。しかしこれらに私は答えることができません。寿司屋でめまいを感じてから記憶が一切ないのですから。突然記憶がなくなる、起きたら知らない場所にいる、裸で性行為を受けている。自分が知らないところで何が起きたのか?知らないという混乱は、私の中で点と点を結び合わせるまでに時間がかかった上に、知らない間に自分以外の誰かに体をコントロールされたと言う恐怖、自分自身を守れなかったという事実は、回復の大きな妨げになりました。」というふうに伊藤さんはおっしゃっているんですね。 言論の自由、表現の自由っていうのは一般的に、例えば#MeToo運動みたいに社会を変えるとか、そういった他人に対して働き掛けるっていうところで重きを置かれている部分っていうのは当然あるんですけれども、性暴力の被害者にとっては、被害を語ることっていうのは、自分の体験を包み隠さず、記憶していることは記憶している、記憶していない、思い出そうとしても記憶が分からないまま、分からないままとして、考えてもはっきりと分からない部分はそういうものとして語るっていうのは、性暴力被害者が、自分自身が回復していくために非常に必要な作業だということを非常に強く伊藤さんの事件をやっていて感じたんですね。
6割は誰にも相談していない
それで、これは内閣府の男女共同参画局のアンケート調査によるんですけれども、2割から4割の女性っていうのが暴力被害、これは身体的、心理的、経済的なもの全部含むんですけれども、遭ってるにもかかわらず、被害について誰にも相談していない女性っていうのは約4割いると。これを無理やり性交された経験に限ると女性の6.9%、すなわち14人に1人はそうした被害に遭っているのに、58.4%、つまり6割っていうのは誰にも相談していないんですね。 性暴力の被害者にとって、被害を乗り越えて自分自身を取り戻すために、あるいは第三者の支援を得るために被害を語るっていうことは非常に、極めて重要なっていうのは今、説明したとおりなんですね。ただ、被害を語るに際して自分自身の記憶が決裂している部分について、あるいは伊藤さんの立場からしたら知ることが困難な加害者側の意図や計画について、相当の根拠を得た上で、推測であることを明示した上で述べたにもかかわらず、被害そのものが真実であっても、その部分について名誉毀損が成立するって話になっちゃうと、これは、性暴力被害者っていうのは当然、名誉毀損、不法行為責任を問われることを恐れて被害を訴えることに、非常に大きなちゅうちょを感じざるを得ないと。それは今回の判決に関して私は非常に危惧しているところなんですね。 今度の判決が出る前なんですけども、私もこういう事件をやっているっていうことなので見学、見学って言うとちょっとあれなんですけど、デモに参加、フラワーデモに行ってみたんですね。そしたらフラワーデモ、僕が行ったのは5月の東京で行われたデモだったと思うんですけども、そこでいて、当然後ろのほうで僕は黙って聞いているわけなんですけれども、今の司法はおかしいっていうふうに被害を訴えている方が非常におっしゃっていて。自分は被害を受けてこれだけ苦しんでいるのに、何か言ったら名誉毀損になるかもしれないと、そんなのおかしいじゃないかと、その被害を訴えられた女性の方がおっしゃっていて、私は横で聞いていて非常に居心地の悪い、申し訳ないなっていう気持ちになったんですけども。これからできることとしては、今回、最高裁では負けてしまったんですけども、この判決はやっぱり一般化してはならないと。そこの部分は非常に強く感じているところであります。 【書き起こし】伊藤詩織さん会見7月20日 全文4に続く