日本社会の変化「まだまだその途中」伊藤詩織さん会見7月20日(本文3)
「開かれた司法」が日本に存在するのか
その中で、ジャーナリズムだけではなくて、いろいろな壁があるんだなと思った1つは、例えば民事裁判をしていても東京地裁に行かないと、証拠であったりだとか、例えばホテルのビデオが見れない、閲覧できない、そして証拠、文書が見えても手書きで写さなくてはいけないっていうところがあるのはすごく壁だなと思って。やはりそれって関東圏にいるジャーナリストの方しか行けなかったりだとか、一般の方しか行けなかったりだとか。 私、一度福岡に行って講演を、お話をさせていただいたときに、自分はまったく違う情報に触れていて、あなたのことは信じないっておっしゃった男性がいたんですよね。ただ、その方に対して、じゃあ福岡の方に対して、東京地裁に行って見てくださいって言えなかったですよね。そういった面では、本当に開かれるべきである、開かれた司法というのが日本に存在するのか。これはすごく大きな問題だと思います。だからすごく、なんだろう、抜け道はあっても、それは全ての人にオープンでない。それはジャーナリズム、記事が書きたいと思ってる、違う、関東にいない方に対してもすごく大きな、ハードルが高いものになってしまいますし、そういった司法の中での手続きであったり壁っていうのは今回感じたところではありました。 今回、今後、今は、私は映像で伝えるという仕事にフォーカスをしているんですけれども、やはり私の中では、できたら情報として消費されるものではなく、やっぱりその人、1人1人のストーリーとして伝えられるような形は何かなと思って今、模索しています。先日もほかのジャーナリストの方々と共にウクライナに取材に行ったんですけど、そのときはやはり、ちょっと個人的なバックグラウンドもあって、その土地で行われてしまっているであろう性暴力に対しての取材を行いました。そういったことに対して、やっぱりこういった経験が自分の中になかったら、目を向けることがもしかしたらなかったかもしれないので、やはりそういった女性の声であったりだとかに対しては今後きっとまだまだ、自分の中でたぶん、答えられなかった答えを探すためにも取材を続けていきたいなと思っています。 司会:12時になってしまったんですけれども、できれば、時間大丈夫ですか。このまま質問をお受けしたいと思うんですが。じゃあ望月さん、どうぞ。