なぜ被害者に謝罪しないのか――「聖職者」の性暴力事件で浮かび上がるキリスト教会の問題
チャプレンの弁明2時間 謝罪はなし
2022年の暮れ、牧師の住む横浜のマンションを訪ねた。呼び鈴に応答はなく、ポストに名刺と置き手紙を入れた。牧師からメールで返信があったのは2月上旬だった。約2400文字の文章が添付されていた。さらにその約2週間後、牧師から着信があった。 「直接、お話ししたいことがあります」 牧師は現在50代前半。関西の大学院神学研究科で博士前期課程を修了し、伝道活動の後、スピリチュアルケア専門職として聖路加に勤務した。キリスト教系大学でキリスト教死生学などの講師も勤めていた。日本基督教団教師、日本スピリチュアルケア学会の認定指導臨床会員であり、ケア師の認定を行う学会の中心人物でもあったという。『病院チャプレンによるスピリチュアルケア』という共著書もある。
2023年2月、都内で会った牧師は恰幅がよく、写真より髪が伸び、少しやつれていた。20代の時に父親が末期がんで亡くなった際、父の疼痛を見て、病院チャプレンの仕事を選んだと話し始めた。そこから約2時間、しゃべり続けた。高揚した様子だった。 牧師の主張は「(女性と)黙示の合意があった」「女性が(牧師に)好意を持っていた」と、訴訟で否定されたことの繰り返しだった。さらに自身を「迂闊」とも形容し、事件の1年ほど前に離婚し「傷ついていた」とも弁解した。 「僕の弱さが出たのと、僕が思っていた以上に(ケアの)技術が下手だった。未熟なスピリチュアルケア専門職だったことは責められて当然です。今、自分は日本で一番、最低最悪のエロ牧師だと思っています。(聖路加を解雇され)今は生活保護で、人生はボロボロです」 女性を罵りつつ冤罪を主張したかと思えば、「牧師やスピリチュアルケア専門職として、女性に対する愛情は変わらずある」と言ったり、自己憐憫の言動があったり。一方で、女性への配慮は抜け落ち、最後まで女性への謝罪の言葉はなかった。
聖職者による性加害 特有の問題は
キリスト教関係者による性加害事件は、日本でもしばしば公となっている。 1983年から数年間、日本聖公会高田基督教会(奈良県)で牧師が教会に通っていた女児に性的虐待をしていたケースでは、2005年に最高裁で事実関係が認定された。1997年から数年間、女性が牧師から性被害を受けた日本ホーリネス教団平塚教会(神奈川県)のケースでは、被害女性が自死する悲劇にもつながった。2018年には、カトリック長崎大司教区で40代の男性司祭が女性に対し、わいせつ行為に及ぶ事件が発生している。 ただ、今回の聖路加のケースでは、牧師を擁護する立場の人もいれば、反対に、被害女性を支援する側に回ったキリスト教関係者もいた。その一人、日本同盟基督教団の大杉至牧師は「聖職者は一般に信頼されているから、事件があるとセンセーショナルに取り上げられやすい」と前置きし、キリスト教界特有の問題をこう指摘する。 「キリスト教では神から遠く離れたことを罪と言い、その赦しも神からの恩寵と受け止めます。人に害をなせば償うのが自明です。ところが、なぜかそこで『赦し』を持ち出して加害責任を曖昧にし、逆に被害者を責めることをしがちになる。これではキリスト教の基本的な信仰理解が混乱していると言うほかありません。性暴力事件に対して不誠実な対応をしている教団は、仮に社会正義を語ったとしても教団内外からの信用を失うでしょう」