太平洋戦争も同じ図式? W杯の熱狂的報道と困難なナショナリズムのコントロールの関係
スポーツコメントの特徴
まず、W杯報道におけるコメントの傾向について考えてみよう。ナショナリズムへの萌芽が見られるかもしれない。 およそスポーツ報道におけるコメントには次の四つの特徴が見られる。 1・ 冷静コメント 本来、勝負事のコメントは冷静であるべきだ。サッカーに関してはやはりこれまでに日本代表監督をつとめた岡田武史氏、西野朗氏などが経験者ならではの分析をしていたように思う。元代表選手では本田圭佑氏が、冷静とはいえないが自分の言葉で語っていた。余談になるが、野球の解説なら野村克也、落合博満の両氏には独自のリアリズムがあって、野球だけを語りながら野球を超える力がある。 2・応援コメント 当然ながら日本代表が闘うゲームでは、誰にでも応援の要素が入る。タレント的なキャスターやコメンテイターはその要素が強い。松木安太郎氏は専門家ながら応援に熱が入るタイプで「居酒屋解説」と呼ばれている。 3・後出しコメント スポーツコメントにはどうしても後出しジャンケンのようなコメントが多くなる。「結果論」というやつだ。ドイツ戦でもスペイン戦でも、先制点を取られてリードされると味方の欠点(相手の長所)ばかりをあげ、得点して逆転すると味方の長所(相手の欠点)ばかりをあげる。今回もほとんど(特に民放)のアナウンサーと解説者がこの罠から逃れていなかった。 4・圧力コメント 最後にあげたいのが、マスコミ報道と国民の感情が一体となって選手にプレッシャーをかけるようなコメントである。これがなかなか厄介だ。もちろん応援に熱が入るのは悪いことではないが、過保護なあるいは過剰に教育熱心な両親がそうであるように、アイドルへの過剰な思い入れが危険を生じるように、熱すぎる応援はよくない結果を生むことが少なくない。一国のナショナリズムにもそういう性質がある。 外国(もちろん国によるが、特にサッカー熱の高いヨーロッパと南米)では、このプレッシャーがストレートで、勝てば英雄扱いだが、負ければボロクソな酷評、時には暴力となる。日本人は比較的穏健で(少なくとも表面上は)、優しいコメントが多いのだが、逆に同調圧力が強く、無言のプレッシャーがはたらく。SNSではそれが文字化されて現れるから大変だ。主将をつとめた吉田麻也選手はその上げ下げを「大手のひら返し」と表現した。外国型の圧力を「主張型(アクティブ)」とすれば、日本型は「同調型(パッシブ)」であろうか。国民性というもので、これは「ナショナリズムの型」といってもいいように思う。