太平洋戦争も同じ図式? W杯の熱狂的報道と困難なナショナリズムのコントロールの関係
ナショナリズムのコントロールを失った戦争
ウクライナ戦争では、予想外に強いウクライナのナショナリズムが戦況に大きく影響し、ロシアが占領した地域を奪還している。逆にロシアでは、独裁的な指導者によって引き起こされた戦争に、国民のナショナリズムが追随していない状況が浮かび上がっている。そしてどちらにおいてもマスコミとインターネットの影響は小さくない。 ナショナリズム自体はどこの国にもあるもので、それ自体は悪いことではない。問題はそのコントロールが難しいことだ。太平洋戦争において、日本はそのコントロールができなかった。 まず伏線として、ポーツマス講和会議のあとの「日比谷焼討事件」がある。日露戦争の実状は幸運ともいうべき辛勝であったが、日本海海戦の劇的な勝利もあって、国民はこれを大勝利と考えた。しかし講和の結果が、ロシアの賠償金支払い義務がないなど、国民の期待を裏切るものであったことに対する不満から、焼き討ち事件に発展した。これが昭和になって、血盟団事件や2・26事件など、一連のテロ事件につながり、太平洋戦争に至る政治家の言動に影響した。これらは一見「主張型」ではあるが、個人的主張の集まりではなく、小集団への同調による極端な行動としての「小集団同調型」の圧力といえないだろうか。 また満州事変後の1933年、松岡洋右全権がジュネーブで開かれた国際連盟特別総会で国連脱退宣言をして帰国したとき、本人は外交の失敗に鬱々としていたが、国民は日の丸の小旗を振って出迎えた。南京陥落のときは提灯行列である。これらは「社会同調型」の圧力であった。どちらも主としてマスコミ報道によって形成されたナショナリズムが、戦争の絡んだ政治の動向に大きな影響を与え、結果としてコントロール不能の状態におちいったのだ。 太平洋戦争の原因は主として「軍部の独走」というのが戦後知識人の一般的な総括だが、そればかりとはいえない。真の原因はむしろ「報道とナショナリズム」の関係にあったのではないか。誰が悪いともいいにくいものだ。 戦後、安保闘争や大学紛争では、逆にナショナリズムに反対する「小集団同調型」の圧力も見られたが、現在では「社会同調型」の圧力ばかりが目立つようになっている。