自民党総裁選に見る「孫たちの政争」 「血脈と地脈」の日本政治
人物像としての貴族・国士・野人
吉田はイギリス趣味でとおし、葉巻を手放さず、自宅への来客にはオールド・パーを振る舞った。娘を事業家に嫁がせたが、自分では人に頭を下げるのが嫌いで、金銭とは一線を画した、いわば「貴族」的な政治家であった。孫の麻生は、事業家でもありその点は異なるが、帽子とマフラーのファッションは海外から「ギャング・スタイル」と呼ばれ、べらんめえで言いたいことを言うところは祖父を受け継いでいる。吉田は親英米ではあるが現実主義が強く、麻生はその点も受け継いでいる。 岸は長州出身者らしく「国士」的な思想の政治家であった。戦後はアメリカに寄り添ったが、これは親米というより反共という共通項があったからで、戦後日本の典型的な右寄り保守思想である。孫の安倍はこの点をしっかり受け継いでいるようで、今回の高市支持にもそれが現れている。 河野はソ連と交渉したが、特に親ソというわけではない。吉田がアメリカと交渉したので、反吉田の鳩山、大野、河野はソ連と交渉したのである。吉田、岸と比べれば、河野は「野人」的な政治家であったが、孫の太郎はその突破力を受け継いでいるように思える。 「貴族」は「ギャング」となったが、それも含めて、「国士」も「野人」も、その人物像と政治姿勢は、祖父から孫に受け継がれているというべきではないか。
華麗なる閨閥
また、吉田・麻生家と、岸・安倍家はいずれも、政・財・官にまたがる華麗な閨閥を形成し、つながってもいる。吉田も岸も、明治維新に大きな役割を果たした西南雄藩を選挙区としており、この二つのファミリーは、明治以後太平洋戦争をはさんで今日に至るまでに形成された近代日本エスタブリッシュメントの中核といっていいだろう。政治的立場は対立していたが、階級的には通じ合っている。よくいわれる麻生太郎と安倍晋三の盟友関係も、政治思想というより、階級としての同質性ではないか。逆に河野家は、関東の豪農として、むしろ江戸時代の力を背負っている。河野太郎の改革精神にはそういうベクトルも隠れているように感じる。 さらにいえば、吉田、岸という巨人的な政治家に比べ、その孫の麻生も安倍も小さく見えるが、河野は少し違う。もし総理になって日本社会を変える改革に辣腕を振るえば、父はもちろん祖父をも超えるスケールの政治家となる可能性をもっている。