建築技術から考える「戦争の破壊と復興」 その文化的な違いとは?
摩天楼が林立する現代都市は戦争を想定していない
スカイスクレイパー(摩天楼)といえば、20世紀初頭以後ながいあいだ、ニューヨークのマンハッタン島の代名詞であった。しかし20世紀後半から、世界各地に建設され、今ではグローバル資本主義の代名詞のようになっている。 地震や強風に対する構造計算、外壁の気密性と水密性、エレベーター、電気設備、情報設備、空調設備、防災設備など、高度な技術の結集であるが、一つだけ弱点があることが露呈した。自爆テロである。 2001年、9月11日、マンハッタンの象徴であるワールド・トレード・センター・ビルに、ハイジャックされた旅客機が飛び込んできた。この建築は、柱というより周囲のマリオン(方立)で支える鳥籠のような構造で、ミノル・ヤマサキという日系アメリカ人が設計したユニークな建築であったが、その繊細で優れた構造であるがために、旅客機が突入した階の破壊によって、上階の落下重量を下階が受けきれず、全壊という劇的な結果となったのである。「バベルの塔」の寓話を想った人も多かっただろう。 この資本主義の象徴は、テロを含む戦争という野蛮な行為を予測していなかった。そもそもアメリカのニューヨークにスカイスクレイパーが林立したのも、ユーラシア大陸から離れ、外敵の攻撃を受ける脅威が少なかったからかもしれない。アメリカが他国のICBM(大陸間弾道弾)開発に神経を尖らせるのも、そこに理由があるのかもしれない。 現在は世界中にスカイスクレイパーが密集する大都市が出現している。ニューヨークだけでなくドバイも東京も上海も、ミサイル攻撃を受ける想定はしていない。その点は世界共通である。さらにいえば、グローバル資本主義は「核兵器による相互確証破壊」に似たような状況を、都市空間の方でつくりだしているのではないか。現代はむしろサイバー攻撃に対処する必要性の方が高いのだ。ウクライナ戦争は古いタイプの戦争である。 マスコミでは、ここぞとばかりに軍事の専門家がウクライナの戦況を報じている。さすがに専門家だと思わされることも多い。しかし国土と都市と建築と文化の違いから、日本の本土が戦場になったときの実態は、まったく異なるものになるだろうということを論じる人はいない。 現在、自衛隊は米軍の戦略に適合する訓練を受けているように見える。僕は日米同盟を重視することに反対ではない。しかしいずれ、日本とアメリカの地理的条件の違い、風土と歴史の違い、その文化的積み重ねの違いが、安全保障戦略の違いとなって露呈する可能性も考えておくべきではないか。