「チャットGPT」が日本社会の病弊を断ち切る? 知的分野に与える影響を考える
「Chat(チャット)GPT」などの生成AIが複数発表され、世界中で大きな注目を集めています。原子力やコンピューターの登場ぐらいのインパクトがあると言われる一方で、AIの専門家や歴史学者らが技術開発を一時停止するよう提唱するなど、今後の社会への悪影響を懸念する声も少なくありません。 しかし、建築家で、文化論に関する多数の著書で知られる名古屋工業大学名誉教授・若山滋氏は、「生成AIを恐れるどころか、日本社会の病弊を切開するゴッドハンドのメスとなることを期待している」と語ります。どういうことでしょうか? 若山氏が独自の視点で語ります。
突然の登場
突然のようにチャットGPTなどの「生成AI」が話題になっている。 会話における質問や要求のような文章を入力すると、その回答となる文章をつくりだし、しかもその内容と日本語のレベルがかなり高い、そういうアプリケーションがインターネットをつうじて簡単に利用できるようになったのである。 AIが話題になりはじめたころ、この欄で、人工知能は「脳の外在化」という、文字が登場して以来の人類の必然であると書いた。そしてそのAIの最大の利用目的は「人間の会話の相手」だろう、とも書いた。人間は話し相手を必要とする動物であり、よきAIはよき話し相手となって、書物がそうであったように、人間の孤独を大いに慰めるであろうと考えたのだ。だがこのチャットGPTは、対話型とはいっても、生成する文章の精度の高さが話題となっているのであり、日常的な話し相手というより、有能な秘書や助手のような存在である。 現段階では、倫理や道徳の観点などからさまざまな問題点が指摘され、著作権の保障やレポートや論文の評価も困難であるとされて、世界各国も、日本の大学も、使用を禁じることを含めて、かなり警戒的である。 もちろんさまざまな問題が生じるであろうが、しかしここではあえて、楽観的に考えてみたい。これが日本社会の知的体質を変えるキッカケにならないだろうか。