建築技術から考える「戦争の破壊と復興」 その文化的な違いとは?
今から100年前に発生した関東大震災では、倒壊した家屋から出た火によって旧東京市の4割以上が焼失しました。東京はその後、太平洋戦争の空襲によって再び焼かれることになります。 建築家で、文化論に関する多数の著書で知られる名古屋工業大学名誉教授・若山滋氏は、「何もなかったからこそか、復興は早かった」と振り返ります。そして、それは日本の建築の特徴でもあるといいます。若山氏が独自の視点で語ります。
瓦礫の山の喪失感
「I love the beginning (私は始まりを愛する)」。尊敬する建築家ルイス・カーンの言葉である。 何もない大地に杭が打たれ、基礎がすえられ、柱が建ち、梁が掛かり、壁が塗られ、屋根がかぶせられる。数十年、数百年にわたる「空間の存在」が始まる。建築が建ち上がるときはいつも壮観だ。 逆に、破壊されるときはいつも残酷だ。足(柱)を屈し、皮膚(壁)が剥がれ、内臓(鉄筋や配管や家具)が飛び出している。 ウクライナでは、ダムや橋や発電施設といったインフラに加えて、住宅を含む多くの建築が破壊されている。もちろん人命が失われることが最大の問題ではあるが、建築家として、これだけの建造物の破壊をまのあたりにし、その復興の大変さを考えると、気の遠くなる思いがする。 飛行機からの爆撃による都市の破壊は、これまでもよく映像などで見てきたが、ミサイルによる都市の破壊を見せつけられるのは珍しい。高価なミサイルを使って軍事的に重要でない建築を破壊する目的は、相手方の戦意を喪失させることにあるのだろうが、現代の研究ではその効果はきわめて低いとされている。プーチンはなんともバカな選択をしたものである。 結果は瓦礫の山。そして中東などの映像でよく見る市街戦となるようだ。 パレスチナやシリア、あるいはイスラム国(IS)の支配地などでは、制圧する側と抵抗する側との、いつ果てるともしれない戦いが続く。 自動小銃を構えた兵士たちが何人かのチームをつくって壁づたいに動きながら、時には窓から手榴弾を投げ込み、時には屋上から狙撃兵の援護を受け、一つ一つの建物を制圧していく。どこに敵兵あるいはテロリスト(場合によっては子供や女性)が隠れているか分からないから、神経がすりへる。 市街戦が終わったとしても、煉瓦や石の瓦礫の山を前にすれば、巨大な喪失感におそわれるに違いない。大きな岩を山の頂上までもちあげその寸前で転がり落ちることを延々と繰り返す罰を与えられたシーシュポスの神話ではないが、重い石や煉瓦を積み上げた街が崩れたあとの瓦礫は、精神に「徒労」という名のダメージを与える。