「もうひとつの民主主義」が生まれる条件とは? 「市民型民主主義」と「人民型民主主義」を比較する
政治的な権力がごく一部の指導者などに集中する権威主義国家。現在、「民主主義」対「権威主義」の対立が叫ばれていますが、権威主義国家においても指導者が選挙で選ばれている場合もあり、世界の国々をきれいにどちらかの陣営に分けるのは難しいのが実情です。 建築家で、文化論に関する多数の著書で知られる名古屋工業大学名誉教授・若山滋氏は、この権威主義を「もうひとつの民主主義」と位置付けました。では、もうひとつの民主主義は、どのようにしてできあがってきたのでしょうか。若山氏が独自の視点で語ります。
時代の進展にかかわらない政治制度の性格
このところ続いているロシアと中国の軍事拡張によって、「いわゆる西側」とそれに対する側との対立が深まっている。西側はこれを「民主主義」と「権威主義」の対立ととらえているが、権威主義とされる側もそれなりの民主主義を唱えているので、前回これを「もうひとつの民主主義」としてその可能性を考えてみた。 西側のそれが「市民」という「教育され自立した個人」を前提とするのに対して、もうひとつの民主主義は、教育も個人も前提としないそのままの国民(統治者から見れば被統治者)としての「人民」の民主主義だ、という主張が存在するのだ。その立場に立てば、この対比は「市民型民主主義」vs「人民型民主主義」であり、後者の国々はある種の権威によらなければ社会の安定が保てないという「事情のある国」でもある。しかしここでは既成の価値判断をすてて、西側型の民主主義をA型、権威型すなわちもうひとつの民主主義をB型として、その成立条件を比較的に検討してみたい。 前回述べたように、社会主義によって資本主義の矛盾を乗り越えようとする思想と、資本主義による経済の発展によって民主主義を実現しようとする思想が、いずれも敗退したことが前提であり、またもうひとつ、科学技術と軍事や経済の近代化が必ずしも政治制度の近代化につながらないということが前提である。 部分的にはこれまでも何度か触れてきた問題であるが、ここで総合的に考えてみたい。