「透明人間」をなくす方法 医療的ケア児の付き添い問題 #令和の人権
その後、教育委員会と面談すると、「おそらく優希さんの場合は訪問籍かと。自宅に学校の先生が週2、3回来るっていう授業のスタイルです」と言われる。しかし、鈴木さんは寂しさを感じた。「やっと自宅と病院以外の場所があるっていうことがわかったのだから、行く場所があるんだったら行かせてあげたいと思った」のだという。 「通学籍にできませんか」と鈴木さんが相談すると、「学校は病院じゃないので、お医者さんもいないし、学校看護師さんも医療的ケアができる人たちじゃない。親御さんが付き添うのであれば、通学籍も検討できます」との答えが返ってきた。 「『うちは一人っ子だし、私ができることは何でもするから、何とか通学籍で』とお願いしました。さらに『週1日からのスタートでいいです』って私のほうから言いました。本人の体力的にもどのぐらいのペースがいいのかもわからなかったし、私自身も家事をして、優希のケアもやって、学校の付き添いまでやるということがどれぐらいの負担になるのか、全く想像がつかなかったからです。最初の入り口を低く設定したことで学校も受け入れやすかったんじゃないかなと思います」 後に聞くと、24時間ではないにしろ、人工呼吸器を使っている子どもが通学籍になるのは、優希さんが横浜市で初のケースだということがわかったという。こうして2013年、横浜市立東俣野特別支援学校に優希さんは入学した。
付き添いの日々に疲弊、学校の状況を変えようと動く
優希さんが入学すると、鈴木さんも「透明人間」になることを余儀なくされた。「教室の片隅で、背もたれのない木の丸い椅子に座り、『子どもたち、かわいいなあ』みたいな顔をして、うっすら笑って過ごしていました」。付き添いは小学1年生から2年生の途中までのおよそ1年半続いたが、心身ともに激しく疲労した。 「朝、出かけるのに、さっき見てもらった帰宅の時と逆のことをやる上に、自分の身支度も整えなければいけない。もう大変です。昼ご飯を用意する時間なんてないので、お昼は抜き。学校の先生は給食を食べてるんですけど、お茶を飲んでおなかを膨らませたりしていました」 「付き添いをやって、家に帰ってきて、また家で優希をケアする。当時は訪問看護もそんなに使っていなかったので、お風呂も一人で入れて、夜中も何時間かおきに様子を見る。病院だと看護師さんが日勤、夜勤、準夜勤みたいに交代するのを、母親一人でやるわけですから、不眠症になりました」