「透明人間」をなくす方法 医療的ケア児の付き添い問題 #令和の人権
その後、優希さんが学校で過ごすことに対する先生たちの不安が少なくなったことなどもあり、鈴木さんの「透明人間」生活はいったん終わる。ただ、電話がかかってきて、学校に呼び出されることも度々あった。優希さんが小学6年生になった頃、24時間人工呼吸器をつけることになり、4年ぶりに付き添いが再開するが、「私やほかのお母さんたちがいろいろ要望していたことがあったけど、学校は何にも変わっていなかった」。危機感を覚えた鈴木さんはほかの保護者とともに「呼吸器生活向上委員会」を立ち上げ 、「医療的ケア実施マニュアル」(後述)の改訂に関わるなど、環境改善に取り組み始める。 そんな頃、鈴木さんは当時の校長に自身の生活について語る機会があった。すると、校長は「下校した後の話をしてくれたことで、恥ずかしいけど初めて気づいたよ。自分たちは学校で精いっぱいだから、学校が終わったらもう終わりだと思っていた。お母さんの付き添いを解消させるため、学校も何かしら努力できることからやらなければいけない」と言ってくれたという。
人工呼吸器は「爆弾のようなもの」と感じていた教員たち
校長が鈴木さんにかけた言葉通りに、東俣野特別支援学校で「透明人間」解消の取り組みが本格的に始まったのは2019年のことだ。すでに医療的ケア児支援法の成立(2021年)に向けた動きがあり、先取りする形で始まった。学校側の中心人物となったのは、現在は優希さんの担任を務める中井大輝教諭。「まず、なんで付き添いが必要なのかを考えようというところから始めた」と振り返る。 付き添いの根拠として、教育委員会の作成した「医療的ケア実施マニュアル」があった。マニュアルの中で、人工呼吸器のケアについては保護者に依頼する、と決められていたのだ。 当初、教員たちからは「通知で決められている」「何かあったときに大変だから、お母さんの手が必要」――など、取り組みに必ずしも前向きとはいえない意見も出てきた。中井教諭は「教員たちの頭には、言われてないことをやることの恐怖がどうしてもつきまとう。でも『どうしたらできるかを考えよう』というテーマで動いた」と言う。それまで教員にとっては触れるのが怖い「爆弾のようなもの」だった人工呼吸器について、メーカーの人を呼んで仕組みや取り扱い方を学ぶこともした。 そうして保護者が付き添わなくていい時間を徐々に増やしていく一方で、完全に付き添いを解消するための取り組みも進めた。