「透明人間」をなくす方法 医療的ケア児の付き添い問題 #令和の人権
さらに15~20分ほどかけて、痰の吸引や人工呼吸器の再装着を行う。傍目にみると、大変な作業に見えるが、鈴木さんと看護師は時折優希さんに声をかけながら、着々と自宅で過ごす準備を進める。いち段落すると、優希さんはベッドから見やすい場所にあるホルダーにはめてあるiPadを使って看護師と学習を始めた。 その様子を横目に、鈴木さんが口にした。 「以前は付き添いがあったので、学校から帰ってきた子どもに『おかえりなさい』と言えなかった。子どもを『おかえりなさい』と迎える。そんな当たり前のことができるようになるまでの道のりは簡単ではなかった」
小学校入学を迎えるにあたり、「家」以外の居場所に気づく
優希さんは、出産時に脳に十分な血液や酸素が送られずにダメージを受ける低酸素性虚血性脳症で生まれた。帝王切開で産むべき状態だったが、医師の判断ミスでそのタイミングが遅れてしまったため、医療過誤が認められた。手足が自由に動かない四肢体幹機能障害という重い後遺症が残った。
東京の病院に1年半ほど入院した後、自宅近くの神奈川県立こども医療センターに転院。胃ろう、気管切開、さらに唾液の誤嚥を防ぐために食道と気管を分離する喉頭気管分離という三つの手術を経て、2歳になった頃にようやく自宅での生活が始まった。 優希さんが自宅で生活するようになると、鈴木さんは家に引きこもらざるを得なくなった。「出かけ方もわからないし、とにかく家にいました。それが当たり前だと思っていた」。そんな生活が数年間続き、優希さんが翌年に小学校に入学するという頃。一本の電話がかかってきた。入学の案内だった。 「私は『学校?』ってびっくりして、こう返しました。『いや、うちの子はこういう障害があるので。学校には行ける子じゃないんです』って。そうしたら『いやいや。義務教育なのでみんな行くんですよ』って言われて……。小学校に行けるなんて思っていなかった。それ以前に、特別支援学校という学校があることも知らなかった。こんなに重い障害がある子に、家以外に居場所があるってことを知らなかったんです」