新型コロナで露呈した各国の「権力」と「民力」、そして「質の国力」
今の日本の権力は弱い
日本における新型コロナウイルス対策の経過に「国家権力がこんなに弱いのか」と感じた人は多いだろう。まず水際対策に強権を発揮できない。検査も留置も隔離も徹底せず、他の国がほぼ強制的なロックダウンすなわち都市封鎖、店舗営業禁止といった措置をとっているのに、日本はすべて自粛要請であった。国民の命を守るのに法的根拠がないというのは不思議でさえあった。 そこには補償問題が生じるという理由もあったようだ。他国には考えられないような巨額の財政赤字を積み上げているから、医療にも経営補償にも思い切った措置が取れない、つまりアベノミクスのツケが出たのだという辛口経済専門家の見方も簡単には否定できない。現在の日本の「権力」はかなりボロボロである。 戦後日本は、アメリカの占領政策もあり、国家権力の弱体化が正義のように扱われた。以来、戦後知識人は、民力に対して権力を弱くすることが使命であるかのような言動をとってきた。その結果が、今回のウイルス感染への対応に出てきたのだとも思える。
日本の民力は本当に強いのか
しかし自粛要請だけで、第1波を乗り切ったのであるから、麻生副総理が見得を切ったように、日本人の「民力」はたしかに高かったのである。いわゆる同調圧力も働いて、手洗い、マスク着用は行き届き、「三密」は避けられ、接触総量が抑制されることによって、感染拡大を食い止めることができた。 ところが第2波となると、危機感が薄れたのか、ピークアウト後の抑制が徹底しなかった。旅行業界、外食業界の疲弊もあって政府は経済回復に舵を切ってGoToキャンペーンを展開し、完全に抑えられる前に第3波に突入してしまった。 第3波になると、多くの感染が、お茶会や飲み会を含めた「会食」におけるマスクなしの会話からの飛沫によることが分かっていて、分科会の尾見会長が呼びかけても、国民の協力はえられなかった。「赤信号みんなで渡れば怖くない」的な、逆の同調圧力が出てしまった。日本人の民力は、たしかに政府の要請にはよく従うが、確固たる個人の判断によるものではないので、何度も繰り返される危機には対応しにくいのかもしれない。慣れと、緩みと、疲れである。 戦時中抑えつけられていた民力は、戦後、解放されて強くなった。民主主義教育の力もあって、日本の民力はそうとうの水準に達した。戦後復興、高度経済成長は、その民力の強さの成果であろう。しかし、ゆとり教育、バブル経済あたりから、強かった「民力」も次第に弛緩し疲弊してきたようだ。そう考えれば、今必要な「改革」は、「権力」だけではなく「民力」にも及ぶということだ。