熱海土石流は肥大化する東京が生んだ災害だ 「国土強靭化」ではなく「国民強靭化」を
「国土強靭化」ではなく「国民強靭化」へ
今回報道された映像でも、大規模な鉄筋コンクリート構造の建築物は土石流に耐えているように思われた。東日本大震災のさいにもいくつかの新聞に書いたことだが、津波で流されたのはほとんどが木造と軽量の鉄骨構造の建築で、ある程度の規模の鉄筋コンクリート建築は例外的なものを除いては流されていない。 なぜか災害については「危険」ばかりが強調され、安全については報道されないが、専門家のあいだでは、(たとえば1981年から施行された新耐震基準に基づいて)しっかり設計された、ある程度の規模をもつ鉄筋コンクリート建築は、地震にも火災にも水害にも強いということが証明されつつある。 これまで日本の防災行政は、主として「土木的発想=官の論理」によって、居住地全体を守るという思想であった。海岸には高い防潮堤が築かれ、河川には大きな堤防が築かれる。しかしもはや限界ではないか。実績を残したい政治家と仕事が増えるゼネコンは喜ぶかもしれないが、使われるのは国民の税金だ。 むしろ「建築的発想=民の論理」によって、居住者それぞれの判断で家を守ることを促進すべきである。それは日本人が、安全をお上に頼るのではなく、自ら主体となることであり、それが民主主義というものだろう。「家社会」から「人社会」への転換でもあり、一種の文化転換でもある。 長引く新型コロナウイルス対策についても、曖昧な同調主義に頼るのではなく、官の側の明確な指針(法制)と、民の側の主体的意志が必要であることが実感された。この国のアフターコロナに必要なのは「国土強靭化」ではなく「国民強靭化」なのだ。 「文化」とは絶えず更新され、転換されなければならないものである。アメリカのような個人主義になる必要はないが、今の日本には、明治の文明開化期や戦後の復興期のように「主体的に挑戦する個人」が必要だ。 国民が強靭化されたとき、この国は必ずよみがえる。政治はともかく、オリンピックの若者たちは健闘しているではないか。