慕われる監督と嫌われる監督 森保、落合から考える指導者の資質とは?
昨年12月末、日本サッカー協会が日本代表の森保一監督の続投を発表しました。ワールドカップの本大会の指揮官がその後も継続して日本代表を率いるのは初めてのこととなります。 建築家で、文化論に関する多数の著書で知られる名古屋工業大学名誉教授・若山滋氏は、森保監督とプロ野球の元中日監督の落合博満氏を比べて「指導者というのは、慕われるのと嫌われるのと、どちらがいいのだろう」と考えます。そして、一国の指導者である首相の資質についても考察したようです。若山氏が独自の視点で語ります。
えげつない人の良さ
サッカー・ワールドカップで日本チームをベスト16に導いた森保一監督に対する評価が高い。 主将をつとめた吉田麻也選手は「森保さんが人を悪く言っていることを聞いたことがないし、森保さんの人間性を否定する人を見たことがないです。えげつない人の良さ」という。たしかにテレビで見ていてもネットで調べても、その人柄が、これほど選手から慕われ、外部からも評判のいい監督はあまりいない。そのこともあってだろう。次のW杯まで続投が決まった。 このことから僕は「監督(指導者)というものは、慕われるのと嫌われるのと、どちらがいいのだろう」と考えた。 というのはその前に『なぜ日本人は落合博満が嫌いか?』(テリー伊藤著、角川書店)『嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか』(鈴木忠平著、文藝春秋)といった本を読んで、監督というものは嫌われるぐらいでなければダメなのかな、と思っていたからだ。 その落合には、僕なりの思い入れがあった。
名古屋と落合
東京の設計事務所に10年ほど勤め、名古屋の大学に助教授として赴任したのが30代の半ば。その前に出した処女作『建築へ向かう旅 積み上げる文化と組み立てる文化』(冬樹社)という著書が好評だったので、大学も、建築界も、マスコミも、すぐに活躍の場を与えてくれたのだが、ともすれば「東京から来た人間(よそもの)」と見られることを感じていた。 大学のそばの寿司屋の親父は猛烈な中日ファンで、店のテレビでナイター中継しているときは一緒に応援しないと握ってくれないほどだった。「この街で生きていくには中日ファンにならなきゃダメだな」と思わされたのだ。 そんなところに、パリーグで三冠王を3度獲得した落合博満選手がロッテから移籍してきたのである。バット一本担いで求められればどこへでも行く。そしてセリーグでも三冠こそならなかったが打率、打点、ホームラン各部門で常に首位争いをした。僕はその孤高の実力主義に共感した。名古屋では絶対的な力と人気を誇った星野仙一(当時監督)に反抗した事件は一種のスキャンダルでもあった。 落合が、巨人、日ハムに移籍して引退したあと、監督として中日に戻ってきたころには、僕は教授としても年長となり、名古屋テレビの朝の番組(どですか!)でコメンテイターをしていた。 ドラゴンズが勝った日の翌朝は視聴率が上がる。ディレクターに「先生も盛り上がってください」といわれるのだがなかなかむずかしい。「本当に中日ファンですか」と疑われ「落合ファンだ」と答えると「ああ、落合ファンね」と妙に納得された。 「名選手必ずしも名監督ならず」といわれるが、監督としての落合は、選手時代と同様におどろくべき実績をあげた。 「球団のため、監督のため、そんなことのために野球をやるな。自分のために野球をやれ。勝敗の責任は俺が取る。お前らは自分の仕事の責任を取れ」(前掲『嫌われた監督』)という言葉のとおり、選手にはプロとしての自己責任を要求し、私情を排した冷徹な勝利至上主義で、その指導者ぶりは野球を超えて幅広い共感をえた。 またテリー伊藤は「群れず、はしゃがず、黙って信念を貫いていく。媚びず、言い訳せず、不気味なほど寡黙に勝負して、勝つ。そこには、古き良き日本人が持っていたパワーがある。同時に、日本人がいまだかつて持ち得なかった新しい価値観がある。それを私は『落合力』と呼ぶ」「この落合力こそが、今の日本人にはもっとも必要な力だ」(文中改行を省いている)と述べている。余談だが、テレビから受ける軽い印象とは違って、簡潔で要を得た文章を書く人だ。 しかし一方で、WBCには選手を出さない(落合はチーム方針としてボイコットしたわけではない発言している)、ファン感謝デーには欠席する、報道陣に口を開かないなど、星野仙一や立浪和義を信奉するコアな(名古屋市民密着型の)ドラゴンズファンには嫌われる部分もあったようだ。親会社(中日新聞)内部の派閥対立もあり、リーグ優勝したにもかかわらず解任(シーズン途中で解任発表)されるという珍しい結末を迎えた。