権威主義の国が唱える「もうひとつの民主主義」は存続しうるか?
経済的格差の拡大やポピュリズムの台頭などを背景に、民主主義の危機が叫ばれています。新型コロナウイルス感染症への対応などをめぐって、政治に強いリーダーシップを求める声が出てきたことも大きく影響しているようです。 建築家で、文化論に関する多数の著書で知られる名古屋工業大学名誉教授・若山滋氏は、「われわれは今、この『民主主義』という言葉の定義と範囲を再確認しなければならない状況にある」と指摘します。若山氏が独自の視点で語ります。
非難と制裁の落差
このところ顕著なロシアと中国の軍事拡張は、資本主義をめぐる二つの思想が敗退したことを意味している。一つはマルクス主義すなわち「社会主義」という思想であり、もう一つは「資本主義による民主主義」という思想である。 そしてその二つの思想の敗退の結果として「民主主義 vs 権威主義」という対立構造が出現しているのだが、権威主義と呼ばれる国が「こちらも民主主義だ」と唱え出しているので、われわれは今、この「民主主義」という言葉の定義と範囲を再確認しなければならない状況にある。 ロシアのウクライナ侵攻に対しては、圧倒的に多くの国が非難している(たとえば国連の非難決議に賛成)のだが、実際に制裁に参加している国はきわめて少ない。この「非難」と「制裁」の落差、すなわち「理想・言論」と「現実・実行」の落差が、平和と民主主義に対する、世界の政治的思想的実情を表しているのではないか。現在の人類はこの「落差」を生きざるをえないのだ。 世界の実情は、いわゆる西側が考えるほど民主主義の条件がそろっているわけではない。われわれは、理想としての民主主義だけではなく、国それぞれの実情としての民主主義にも光を当てる必要がある。
「社会主義」という思想の敗退
イギリスに始まった工業生産を基本とする資本主義は、国家の領土的拡張と結びついて、帝国主義的な世界潮流を生んだ。これに伴って生じる諸問題に異をとなえるのが社会主義で、初期の、富者と貧者の差をなくそうとする慈善的な理想主義は「空想的社会主義」と呼ばれた。これに対してカール・マルクス以後の、労働者階級を主体とする社会革命を目指すものは、自らを「科学的社会主義」と称した。 後者は、物を生産する様式が変化することによって、社会の主体が貴族から、市民(ブルジョワ)を経て、労働者(プロレタリア)に交代するのが歴史的必然であるという理論で、実際に多くの国を社会主義革命あるいは革命機運に導いたのである。結果として、アメリカを中心とする資本主義国と、ソビエトを中心とする社会主義国が対立する冷戦時代が出現した。 しかし現実には、ソビエトが帝国主義の道を歩み、他の社会主義国でも、独裁的な政権による権力と富の集中が進んでいった。そしてベルリンの壁崩壊を機に、社会主義思想を掲げた国家群の主要な部分が崩壊し、多くの国が資本主義と民主化の方向に舵を切ったのである。日系アメリカ人政治学者フランシス・フクヤマはこれを「歴史の終わり」と表現した。ここでフクヤマが「歴史」という言葉を使ったのは、マルクス主義の唯物弁証法の歴史観に対するもので、特定の歴史観による古代以来の強権国家の時代が終わるという考え方である。