なぜJ1川崎Fの中村憲剛は301日ぶり復帰試合で円熟ループを決めることができたのか…「等々力に神様がいた」
ほんの数秒の間に頭脳をフル回転させ、左足で軽やかにボールへワンタッチ。大久保の頭上を越える芸術的なゴールを決めた憲剛は、ピッチに投入されてからわずか15秒後にいきなりシュートを放っている。ゴール右隅を狙った一撃は味方のFW小林悠に当たったものの、手応えは十分だった。 「一発打って吹っ切れたというか、自分のなかでもスイッチが入ったところがあった。チームメイトたちが3点を取ってくれていたこともあるし、自分も攻撃的な姿勢をもちたかったので」 自身との交代でベンチへ下がった、ルーキーのMF旗手怜央(順天堂大卒)が前半21分と後半29分に連続ゴール。FWレアンドロ・ダミアンも後半6分にゴールで共演するなど、エスパルスの戦意を半ば奪い去り、気負いなく復帰戦のピッチに立てる状況を作ってくれた仲間たちに感謝した憲剛は、相手ディフェンダーにブロックされたものの、後半35分にも強烈なシュートを放っている。 「今日は待ち望んでくれていたすべての方に、自分がサッカーをする姿を見せたいと思っていました。何だかこの10カ月間が早送りみたいに、自分の頭のなかを巡っていった一日でした」 昨年11月2日に等々力陸上競技場で行われた、サンフレッチェ広島戦の後半に左ひざが悲鳴をあげた。敵陣の深い位置にまでボールを奪いにいった際に、相手選手と激しく接触した。そう簡単には復帰できないけがだと直感でわかりながら、一夜明けた公式ブログでこんな言葉を綴っている。 「正直、この年齢でこのケガをするのは夢にも思いませんでしたが、あのプレーに後悔はないですし、起きてしまったことにあれこれ言ってももうしょうがないので」
患部の腫れが引くのを待って、11月22日にじん帯の再腱手術を受けた。全治は約7カ月。順調に進んでいたリハビリは、新型コロナウイルス禍による長期中断に入って間もない3月に暗転する。 「ちょっと負荷が強すぎて痛みが生じて、リハビリのメニューがどんどん削られていったときが一番つらかった。その後に緊急事態宣言が出てクラブハウスにも行けなくなったなかで、左ひざの先行きが見えない時期と、国として、Jリーグとして、そしてフロンターレとして先が見えない時期とがちょうど重なってしまい、いろいろなストレスがあったと思うんですけど」 ステイホームを強いられた憲剛を鼓舞したのが、最愛の家族の存在だった。夫人の加奈子さん、小学校6年生の長男・龍剛くん、4年生の長女・桂奈ちゃん、そして4歳の次女・里衣那ちゃんから日々かけられた、何気ない言葉の数々に「すごく助けられたところがある」と憲剛は感謝する。 「ひざが痛いと言ってもしょうがないよ、みたいな感じで。いつ(緊急事態宣言が)明けるのかもわからないし、とにかくネガティブにならないようにと、子どもたちも小学校や幼稚園に行けないのに声がけをしてくれたなかで、一家の主である僕がそれじゃダメだろうと思うようになりました」 チームドクターがオンラインで患部の具合を診てくれれば、トレーナーもウェブを介して自宅でできるリハビリメニューを提示してくれた。憲剛をして「僕を一人にしないように、みんなが支えてくれました」と感謝させた周囲の存在もあり、完治に向けた軌跡は再び右肩上がりへと転じはじめた。 「足踏みしたのは、そのときだけですね。それ以降は楽しくリハビリをやれて、どちらかと言えば周りの方が悲壮感を漂わせていた部分もあって、チームから『ちょっと明るすぎる』と怒られました」 公式戦再開後は破竹の10連勝をマークしたフロンターレだが、第12節で名古屋グランパスに0-1で今シーズン初黒星を喫すると、ヴィッセル神戸との第13節も旗手のリーグ戦初ゴールでかろうじて引き分けた。快進撃にやや陰りが生じていたなかで、大黒柱の復帰がカンフル剤になった。