「障害は個性ではない」。吃音を持つ開業医が伝えたい“あきらめずに悪あがきすること”の重要性
電話という発明を憎んだことも
――吃音は、「他の目に見える障害と違って、一見、障害がないように見えることから、症状が理解されずに誤解されてしまうという苦労もある」という。 北村:外来では、患者様に分かりやすく説明することを心掛け、なるべく専門用語を避けているのですが、せっかく話すことができたなら、息継ぎをするまでに少しでも多く情報を伝えようと、早口になりがちで、クチコミに書かれることもあります。また、吃音のために、言葉を発することができず、詳細な説明をあきらめ、簡単にせざるを得ない場合もあります。吃音のために発語をやめてしまうなど、言葉足らずになることもあり、患者様だけでなく、スタッフや友人との間でも、コミュニケーション問題はつきまといます。吃音が恨めしいです。吃音は、目に見える障害と違い、一見、障害がないように見え、理解されずに誤解される苦労が多々あります。それでも、可能な限り患者様の疑問に答えられるように対応しており、私の説明がわかりやすく丁寧だから、と通ってくださる患者様もいらっしゃるので、日々、精一杯、診療にあたっています。 また、患者様を他の医療機関に紹介する際、あるいは、救急車を呼ぶ場合、など、電話をせざるを得ない場合が多々ありますが、私にとって、電話という発明は、なんというものを発明してくれたのか、というほど、発明者を憎みたいものの一つでありますが、外来をしていて、避けられないものの1つです。 吃音がなくなってくれれば、というのは、幼少時から、ずっとつきまとっています。吃音のない人生に憧れます。
吃音が克服できなくても…
――最後に、同じように吃音を抱える人に伝えたいことを聞いた。 北村:吃音が克服できたなら、それは、すごくラッキーなことだと思いますし、すごくうらやましく思います。しかし、私のように吃音が克服できなかった場合には、吃音を受け入れるしかありません。そして、人以上に努力するしかないと思います。そのうえで、「この道しかない」と思うのではなく、おそらく、だめだったときに備えて、2番目、3番目の道も残しておく、ということ、そして、あきらめずに悪あがきすること、が重要だろうと思います。あきらめれば試合終了ということもありましょうが、悪あがきすれば、拾ってくれる神はいらっしゃると思います。大学卒業時の進路選択でも、教授がひろってくださいました。悪あがきして留学先も見つかり、2か所の拠点で働くことができました。ロンドン大学の肝臓研究所に所属していた際、ボスがアメリカで研究室を立ち上げるとのことで、一緒に立ち上げを手伝ってほしいという打診があり、海外での研究生活継続のチャンスでしたが、普通に歩いていた父が突然の窒息事故と、その後のリハビリ中、テレビ報道もされた経鼻栄養チューブ誤挿入という医療ミスで急逝し、残された母のことや、その後の人生を考え、海外での研究生活を断念し、帰国する道を選択しました。この際にも、医局や先輩のおかげで臨床復帰することができ、さらに、同級生のおかげで内科では経験できなかった手技や知識を身に着けることができ、開業を選択する自信につながりました。 大学病院やがん専門病院の健診センターで研鑽した技術、診断能力をもって、相応の設備・装置を備えれば、大学病院やがん専門病院に負けない健診を受けていただけるのではないか、と健診と外来を併設したクリニックを立ち上げました。見落とし、医療ミスのないよう、注意しながら、自分がこの病気なら、家族がこの病気ならと考えながら、日々診療にあたるよう心がけています。