「障害は個性ではない」。吃音を持つ開業医が伝えたい“あきらめずに悪あがきすること”の重要性
開業することは本当に大きな賭けでした
――それでも開業に踏み切ったのは、北村氏にとって「大きな賭けだった」という。 北村:吃音のある私にとりまして、出身大学である慶應義塾大学の医局に属しながら、その関連病院で働くことは、いろいろな意味で医局に守っていただけていました。中には、身体障害者扱いされたケースもありますが、実際に試しで申請してみたところ、身体障害者と認定されたわけですから、事実を言われていただけと言えますし、大抵は、医局の先輩方が私の吃音、コミュニケーション不足を補ってくださっていました。 開業の道を選択する、ということは、そうした保護から外れることを意味します。医局から派遣された関連病院の勤務では、あくまでも、大学から派遣ということ、また、地方の基幹病院ということもあり、大学や病院の看板がありました。開業すると、こうした看板はなくなります。大きな借金を背負って新規開業することは、吃音のない医師にとっても賭けではあると思いますが、吃音のある私にとって、開業するということは、本当に、本当に大きな賭けでした。ですが、「先生が主治医で良かった」と受け持ち患者様が言ってくださっていたり、基幹病院で勤務中に開業医へ逆紹介をしようとしても、「先生の外来に通いたい」と言ってくださる患者様も多く、内視鏡検査も自信がありましたので、将来のこと、自分の理想とする医療のことを考え、開業に踏み切りました。
吃音があることで生じた実生活での苦労
――他にも、タクシーを止めても言葉が出ずに乗車拒否される、電話をかけると不審者扱いされ切られる、デパートで気持ち悪がられて担当者が交代するなど、障害があることで受けるデメリットは数限りない。 北村:幼少時から吃音がありましたが、勉強も体育も得意で、話すとき以外には、何も症状はありません。話すときにも、毎回どもるのではなく、全くどもらないこともあれば、どもって話にならないこともあります。自分が身体障害者に該当するという認識はありませんでしたし、思われたくもなかった。親からは、小学校に入ったら治る、20歳になったら治る、などと励まされてはいました。しかし、いっこうにどもりはなおりませんでした。 吃音があると恋愛も難しく、どもりが出ない間、あるいは、どもりをうまく隠せている間はいい感じになれたとしても、どもりがでた時点で、即ジ・エンドということが多々あり、いわゆる合コンに呼ばれても、どもりが怖くて、何も会話せず、発言すらせずに終了ということがほとんどで、もっぱら安全パイの人数合わせ的な感じすら。お見合いをしたとしても、酷くどもった時点で即お断り。吃音など気にしないという方としかご縁は生まれません。結構な吃音のある私にとって、電話は敵であり、今のようなネット環境がなかった時代に恋愛しようとしていた私には、努力だけではどうしようもない恋愛、婚活は相当ハードルが高く、努力すれば何とかなりそうな受験のほうがまだましでした。 私の場合は、発語する際に言葉が出ない、出てきにくい吃音です。最初さえ出てくれれば、息が続く限りはどもりません。どもりそうなとき、別の出てきやすい単語に置き換えられないかを考え、試したりします。最初の言葉を発するために、何度も何度も何度も自分の中で言いやすい言葉を声を出さずに話し、それから続けるようにして発語しようともしますが、だめなときはダメ。別の単語に置き換えてどもらない場合はよいのですが、それでもどもる場合、どうしようもありません。あまりにどもりが続くと「ま、いっか」と、話すのをやめてしまいます。 こうしたことで、コミュニケーションが難しくなり、うまく気持ちや考えが伝わらなかったり、間違って取られたりします。勢いづけるとどもらずに済むケースもあるのですが、勢いづけると、声が大きくなりがちで、内容によっては、威圧的に取られてしまいがちです。また、息継ぎをすると、息継ぎ後は、また、言葉の出だしとなるため、どもる可能性が出てしまうため、何とか、息継ぎ前に多くを話そうとして、早口になりがちです。このため、幼少時には、親族から、活発に話す兄や従弟と比較され、「あんたは無口で、根暗やなあ」とよく言われました。