「主婦年金」廃止は女性活躍の転換点 方針決定までの30年「連合」芳野友子会長に聞く #くらしと経済
労組での成功体験「リボンとベルト」
芳野さんはミシンメーカーのJUKIの労働組合の出身。1986年に男女雇用機会均等法が施行された後の1988年にJUKIの中央執行委員になった。連合の副会長などを経て、2021年に連合初の女性会長になった。会長に就任したときに「ジェンダー平等」を抱負に掲げた。 ──本格的に労働運動に入るきっかけはありましたか。 あります。「リボンとベルト」です。 JUKIで女性初の中央執行委員になったとき、私は育児休業制度の導入を提起しました。男女雇用機会均等法が施行されて以降、女性の採用は増えたけれども、結婚や出産で辞めていく女性が多かったからです。そこで、制度を導入していた全電通(全国電気通信労働組合、現NTT労組)にヒアリングしたうえで、JUKIの中央執行委員会で育児休業制度の問題を提起しました。
──結果は? 「女の幸せは早く結婚して、よい妻、よい母になること」とバッサリ反対され、通りませんでした。制度を導入するよう説得できるだけの材料が不足していて、執行部の先輩から「もっと事前に考え方を共有し、理解者を増やしたほうがいいよ」とアドバイスされました。いわゆる根回しが足りなかったわけです。 ──それが「リボンとベルト」にどう結びつくのですか? そんなとき、女性社員が「(私費で購入していた)制服のリボンとベルトがすぐ傷むから、会社支給になればいいのに」と話しているのを聞いたんです。次の執行委員会で、リボンとベルト支給を要求項目に載せることができました。つまり、会社の日常において組合がやるべきことはいくらでもある、と気づいたのがリボンとベルトでした。 ──JUKI労組での成功体験だったんですね。 この成功は大きく、女性の組合員たちが相談に来るようになったんです。次の年に、あらためて育休制度導入を中央執行委員会に提起して、会社に要求書を提出しました。今度は理解を示してくれた男性役員に提案してもらったんです。そうしたら、対女性だとガツンッてくるんですけど、対男性だと反論できないものです。育児休業法は1992年に施行されましたが、JUKIでは先駆けて1990年に導入しました。