総裁選で再び注目 自民党の派閥とその歴史とは? 坂東太郎のよく分かる時事用語
その時の政権が行き詰まるとカラーの異なる別派閥の領袖を新しい総裁(単独政権下ではイコール首相)に立ててイメージを変えるという「疑似政権交代」もしばしば演出。タカ派の岸内閣の後にハト派の池田内閣を、田中首相が金銭スキャンダルで辞任した際には「クリーン三木」として清潔イメージがあった三木内閣を後任にするといった具合です。 ある領袖が総裁(=首相)になると他派閥は少しでも内閣に自派の議員を押し込もうとし、総裁も足下を固めるべく派の推薦リストに沿って受け入れてきました。 とにかく選挙に勝たなければ話にならないので派閥は巨大な集金マシンと化し、総裁選は現ナマが飛び交うありさまでした。当選を重ねるごとに各議員は党の部会や国会の委員会などで特定の分野に精通することを心がけ、やがて「族議員」となってなまなかな官僚では及びもつかぬ知識と権限を振るって選挙地盤や支持母体を培養するなど、私益に走るという弊害もたびたび指摘されてきたのです。 他方で、派閥は自らを強くするためとはいえ人材発掘にも余念がなく、当選した新人議員の教育も熱心に行いました。総裁選となれば領袖を担いで戦い、当選回数にしたがって党や政府の要職を歴任し、最後は領袖に上り詰めて総理の座を狙うという「自民党ドリーム」が党の体質を強化したのも事実です。族議員も専門性を磨くという範囲では決して悪いことばかりでもありません。
●派閥の盛衰
「戦国史」とまでうたわれた1970年代の三角大福中のバトル後、派閥の弊害が恩恵よりも強く意識されるようになりました。大きく変わったのが1996年、衆議院に小選挙区比例代表並立制が導入されてから。「1選挙区に当選は1人」が原則なので派閥間での争いが不要となって総裁や幹事長といった党の公認権を持つリーダーに従う傾向が強まります。
2001年に誕生した小泉政権あたりからハッキリと景色が変わりました。推薦リストに基づく派閥順送り人事を一切せず。また彼自身は派閥の領袖ではありませんでした。以後の総裁・首相でも領袖は麻生首相のみ。安倍、福田康夫各首相は違います。 それでもなお派閥が健在なのは、大臣こそ順送りが廃されつつあるも、政府の副大臣、政務官や国会の役職、党役員人事などではまだまだ権限を振るう余地が大きく、無派閥のままではそこに仲間を送り込んだり国政選挙で新人に公認をもらったりといった効果が期待できないためでしょう。総務省に派閥を政治団体として届け出れば政治資金パーティーも開けます。パーティーは既存の派閥も有力な資金源としているのでカネの面での恩恵もあるようです。 だからこそ、菅氏が無派閥というのが注目されます。第2次安倍政権発足から一貫して官房長官を務めた菅氏は、無派閥からの抜てきも積極的で信望が厚いようです。既存派閥の相乗り現象も、その流れをつくった二階幹事長以外は、むしろ「無派閥首相誕生」で置いてきぼりを食らうのを恐れたからともみなせます。「昭和の派閥談合・密室政治の復活」という見方がされる一方で、派閥のありがたみを「少しでも新総裁に分かっていただこう」という試みなのかもしれません。 (※文中一部敬称略)
----------------------------------------- ■坂東太郎(ばんどう・たろう) 毎日新聞記者などを経て、日本ニュース時事能力検定協会監事、十文字学園女子大学非常勤講師を務める。著書に『マスコミの秘密』『時事問題の裏技』『ニュースの歴史学』など