総裁選で再び注目 自民党の派閥とその歴史とは? 坂東太郎のよく分かる時事用語
派閥の源流は、1955(昭和30)年の自由民主党の結成にさかのぼります。吉田茂が率いていた自由党と鳩山一郎による日本民主党が「保守合同」して成立した自民党では、総裁選挙に向けて有力者による主要8派閥が形成されました。派閥はその後、存亡を繰り返しつつ70年代の5大派閥「三角大福中」を経て現在に至るという流れです。現在までの系譜をざっくりと記すと以下のようになります。 ●旧自由党系 池田勇人派→大平正芳派(大)→岸田派、麻生派、谷垣グループ 佐藤栄作派→田中角栄派(角)→竹下派 ●旧日本民主党系 岸信介派→福田赳夫派(福)→細田派 河野一郎派→中曽根康弘派(中)→石原派、二階派 三木武夫派(三)……麻生派へ合流
5大派閥から現在2つ以上に分かれているのが旧池田派と旧河野派です。それぞれの経緯を略述します。 池田派(宏池会)は、加藤紘一が領袖であった2000(平成12)年、当時の森喜朗首相(派閥は現在の細田派)の倒閣を目指した「加藤の乱」が頓挫。以後は親加藤の谷垣派(現在の谷垣グループ)と反加藤の堀内光雄派(現在の岸田派)に分立しました。 麻生派は少々複雑です。河野一郎の子の洋平(中曽根派)が1976(昭和51)年に自民党を飛び出して新自由クラブを結成するも力及ばず10年後に復党。宏池会に入りましたが宮沢喜一の後継争いで加藤と対立し、麻生らと小所帯の河野グループを旗揚げして分立しました。それが今の麻生派です。 旧中曽根派は跡目を継いだ渡辺美智雄の死後、山崎拓が分離独立。「参議院のドン」と畏怖されていた村上正邦らの中曽根派勢力と他派ながら森喜朗と袂を分かった亀井静香らのグループが合流して「村上・亀井派」が立ち上がりました。 二階俊博は、後述する小沢一郎を実質的なリーダーとする新生党結成で自民党(竹下派)を離党。新進党、自由党と小沢と行動をともにしましたが、自民党との連立政権(自自公連立)で連立から離脱しようとした小沢と決別して新たなグループ(保守党)をつくり、政権に残留。その後、村上・亀井派の後継たる伊吹派(会長:伊吹文明)に属し、2012年に派を継承しました。 石破派は正確な系譜を記せません。一応は竹下派系ともいえますが一度離党していますし(離党時は渡辺派)、復党後も一時期無派閥でした。 派閥の名称として有名なのは、前述の宏池会(現岸田派)のほか、佐藤派系の田中角栄が率いた「木曜クラブ」と派内に旗揚げした竹下登の「創政会」(その後独立して「経世会」に)、岸派の跡目である福田赳夫が作った「清和会」(後継の現細田派も「清和政策研究会」を名乗る)などが有名です。