総裁選で再び注目 自民党の派閥とその歴史とは? 坂東太郎のよく分かる時事用語
●派閥の「番外編」
今回の総裁選で大本命と目される菅義偉(よしひで)氏はかつて経世会や宏池会の系統に属していましたが、派の総意に反する候補を総裁選で支持するなどの独自行動が目立って無派閥となっています。現在の無派閥議員は数え方によってバラツキがあるものの約70人。内訳は、何かといわくがあったり、派閥の応援なしで勝てたりする強い中堅ベテランや公募や地方議員出身など菅氏と同じ、かつての「党人派」に近い若手に大別できます。今回の総裁選は後者の多くが事実上の「菅派」として20人を超える議員が応援する模様です。 総裁選勝利の算段として無派閥を標榜した小泉純一郎元首相(実際は森派の大番頭)を除いて無派閥で首相になった人はいません。派閥には、後述するように恩恵と弊害が合わせ鏡になっています。
もともとは自民党有力者で、今なお野党で一定の影響力を残しているとみられるのが小沢一郎。小渕恵三元首相を推すグループとの竹下派の跡目争いで劣勢になった小沢は、一群を率いて脱党して新生党を結成、1993(平成5)年に細川護熙(もりひろ)非自民連立政権を成立させて自民党を野に追いました。その後、自民党が社会党と新党さきがけをともなって政権を奪還すると政権交代可能な野党として新進党を結成。小池百合子都知事や石破候補も加わっています。 新進党の分裂後は自由党を立ち上げ宿敵の小渕首相と1999年に連立。連立離脱の際に分裂して政権に残ったのが二階幹事長らです。野に下った小沢自由党は2003(平成15)年に民主党と合併、2009年の総選挙で大勝して再び自民から政権を取り上げました。 民主党政権末期に小沢派を率いて脱党した後も、山本太郎現「れいわ新選組」代表と組むなどいくつかの政党を経て、国民民主党に合流。今月の立憲民主党との合流で誕生する新政党でも一暴れするつもりのようです。
●派閥の功罪
「55年体制」当初から外交姿勢は旧自由党系が「ハト派」(穏健)、旧日本民主党系が「タカ派」(強硬)とみなされてきました。こうした政策的な違いに加えて、派閥は1947(昭和22)年から1993年まで衆院選挙で採用された中選挙区制(1つの選挙区からおおむね3人から5人を選出)が存在感を高める要因となっていました。 93年の総選挙で下野するまで、自民党はほぼ単独与党なので総選挙で過半数を維持しなければなりませんでした。例えば定員3人区としたら当選者は1人ではダメで2人を目指します。当然同じ選挙区で自民党候補同士が争う構図となり、他派閥候補と血で血を洗う選挙戦を展開したのです。派閥の領袖は勝つためにカネを配って自派候補を応援しました。