少子化対策と温暖化対策の裏にある不都合な真実 本当に「異次元」なのは?
「工学的塩梅」から離れる政治
高度に工業化し技術化した社会では、政治家も官僚も報道者も工学的に考え、論じ、決定しなければならない。社会主義国においてテクノクラート(技術官僚)がトップに立つ傾向があることにも理由がある。ブレジネフもエリツィンも、江沢民も胡錦濤も習近平も、理系教育の出身者である。こういったテクノクラシーが必ずしもいい結果を生むかどうかは別にしても、現代社会における政治に、高度な工学的判断が求められることはたしかなのだ。 日本のような民主主義社会では、政治が技術的な知見を独占することは許されない。説明責任を求められる。そこで専門家の諮問委員会が重要になるが、その人選は、本当に正しい判断のできる専門家ではなく、社会的地位の高い、すなわちその社会体制に都合のいい人物が選ばれる傾向にある。 僕は大学、行政、学会の、数え切れないほどの委員会に出ていたが、スッタモンダの議論のあとに出される結論は、真実というより、社会的に(もっといえばその委員会を設置した権力に)受け入れられる範囲の妥当性をもつ文面になってしまう。 実は専門家の世界(大学や学会など)自体が、官僚的形式主義に陥り、とかく体制に同調するようになっている。この国が、ものづくり大国から滑り落ちた原因はそこにあるのではないか。 たしかに温暖化対策も少子化対策も、あってしかるべき政策である。だから野党も強く反対しないのだ。しかし「異次元」となるとどうなのだろうか。工学的検討を放り出しているように感じる。技術には常に塩梅(=さじ加減)というものがある。ある問題に正面から向き合うということは、先延ばしすることでも猛進することでもなく、常にその「工学的塩梅」を考えながら、大胆かつ慎重に進むということである。経済と財政の政策にも同じことがいえよう。 今の日本社会は地球的工学的問題にも経済的財政的問題にも、正面から向き合わず「工学的塩梅」からどんどん離れていくようだ。その政治と言論の無責任が、国民の意欲を奪っている。 少子化対策と温暖化対策には相反的な関係がある。異次元ではなくあくまでも「現実世界」における費用・効果・副作用を検討しながら政策を進めるべきだ。 この国で本当に異次元なのは、財政赤字そのものではないか。