少子化対策と温暖化対策の裏にある不都合な真実 本当に「異次元」なのは?
人間という「種」の個体数の調整は可能か
先進国の人口減少の背後には、ある地域に増えすぎた「種」の個体数に自然的な抑制がはたらくという生物学的な原因があることが感じられる。また歴史人口学者のエマニュエル・トッドが指摘する直系家族(一人の子が家を相続し親と同居する日本、ドイツ、イタリア[地域による]、韓国などがこのタイプで出生率低下が著しい)の問題もあるのではないか。僕も、家父長制が強かった国々に顕著な出生率低下は、伝統的な社会モラルと近代的な法的秩序とのズレによるのではないかと考えてきた。 少子化対策が成功した例とされるフランスでも、実際に増えた家庭にはある種の偏りがあり、最近は出生率が再び低下しているという。統計というものを正しく読むことにはそうとうのスキルがいるのだ。 いずれにしろ、この問題は児童手当をバラマクだけで解決するほど簡単であるとは思えない。日本の文化を根底から変えていく、もしくは良い部分を復活させることが必要ではないか。
EVは本当に救世主か
温暖化対策に関する近年の傾向で気になることのひとつは、ブームともいうべきEV(電気自動車)一辺倒の風潮だ。世の中、あたかもEVなら温暖化が防げるかのような論調に溢れている。 たしかに排気ガスを出さないので都市部の空気環境はよくなる。騒音もなくなる。自動運転化にも有利であろう。しかしそのエネルギー源となる電気は発電所で生み出されるので、発電過程でCO2を出しているかぎり温暖化に加担していないわけではないのだ。再生可能エネルギーによる発電が進めばいいが、送配電などさまざまなコストを考えると、そうそういいことばかりではなく、化石燃料発電の時代が一挙に終わるわけではないだろう。欧米でEV以外の自動車を規制しようとするのは、ガソリンエンジンやハイブリッドの技術でリードする日本のメーカーを締め出そうという狙いがあるともいわれる。 現代技術は、そこに絡む要素が多岐にわたり、それぞれ定量的に検討しなければ良し悪しを判断できないものだ。しかし行政の会議やマスコミの報道では、そこに絡む要素を定量的に論じることはほとんど不可能である。たとえそこで数式やグラフを出しても、そのモデルを構成する仮定に対する本当の理解がなければ誤解を生むばかりだ。 ひとつの技術の背後にある問題点を総合的に整理することなく、何か表面的な利点だけに焦点を当てたり、逆に何か一つ問題が起きれば、集中砲火のような批判を浴びせ、多くの利点を押し流してしまうようなことがあるのは、現代情報社会の欠点であろう。特に日本の政治的言論は、他の先進国と比較しても情緒的で、定量的表現には不向きであるように感じられる。