太平洋戦争も同じ図式? W杯の熱狂的報道と困難なナショナリズムのコントロールの関係
カタールで行われたサッカーワールドカップ(W杯)は スーパースターのメッシ率いるアルゼンチンの36年ぶり3度目の優勝で幕を閉じました。日本代表も、ワールドカップの優勝経験があるドイツ、スペインと一緒になった厳しいグループリーグを勝ち抜くなど健闘しました。 建築家で、文化論に関する多数の著書で知られる名古屋工業大学名誉教授・若山滋氏は日本代表の奮闘を「勝負は最後まであきらめてはいけないということを教えてくれた」と振り返ります。一方で、ナショナリズムについていろいろ考える機会にもなったようです。若山氏が独自の視点で語ります。
崖っぷちからの勝利と歴史的勝利のあとの敗北
W杯、日本は善戦した。 今回の日本の戦いをかえりみると、常に首の皮一枚のギリギリの状態から、逆転的に次の段階に進んだことが特徴であった。 アジア最終予選では、序盤でつまずいてほぼ絶望的な状況、監督解任論まで出たのだが、その後勝ちつづけてカタールへの切符を手にした。グループリーグは強豪スペインとドイツと一緒で「死のグループ」と呼ばれるような組み合わせであった。まずそのドイツに勝ったのだが、勝利を計算に入れていたコスタリカ戦に負け、最後のスペイン戦で先制されたときも敗退ムードが高まった。ところがさらにこれをくつがえして決勝トーナメントに進んだのである。 勝負は最後まであきらめてはいけないということを教えてくれた。クロアチア戦も善戦したことに変わりはない。W杯での最後の敗退がPK戦というのも「勝負は時の運」という格言を思えば悪くはない。上々の首尾である。 しかし僕の記憶に残っているのは、歴史的勝利といわれるドイツ戦でもスペイン戦でもなく、コスタリカ戦の敗北である。ドイツに勝って日本国内はお祭り騒ぎとなった。もちろんチームは次の戦いに意識を切り替える努力をした。しかし国内での祝勝気分は伝わるものだ。しかもコスタリカはスペインに0-7で負けている。なぜかイヤな予感がしたのだが、そのとおりの結果となってしまった。 僕の趣味の囲碁でも、相手をみくびると油断が生じてどこかでミスし、逆に相手をおそれると伸び伸びとした手が打てなくなる。みくびってもおそれてもダメ、メンタルが勝敗につながるのはサッカーも同じではないか。実際、コスタリカとの前半戦は、相手をみくびったのか、パスがラフになってつながらず、無用なファウルが多かった。あせった後半戦は、勝とうという意識が出て守りにスキが生じた。「引き分け」も計算に入れるという心の準備はできていなかった。 またクロアチアとのPK戦は、16強から8強への「壁を越える悲願、新しい景色」を意識してか、選手にかかるプレッシャーが大きかったのではないか。その後ブラジルが、同じような経過でクロアチアにPK戦で負けたことにも、ブラジル国民の熱気とFIFAランキング1位のプレッシャーが大きかったように感じた。 優勝したアルゼンチンの凱旋パレードを見ても、W杯の報道と応援が、オリンピック以上に、ナショナリズムともいうべき国民の熱気を高めることが分かる。 一方あいかわらず、ウクライナからの戦争報道で多くの国が一喜一憂している。高揚するカタールからの戦いの報道、悲惨なウクライナからの戦いの報道、どちらもその背景にナショナリズムがある。また世界全体を見わたしても、このところナショナリズムを前面に打ち出す政党と政権が増えている。 日本国内に目を向ければ、莫大な防衛予算の財源をめぐって内閣と自民党が混乱している。選挙を心配してか、軍備増強をとなえていた議員も税負担には反対のようだ。反撃能力(敵基地攻撃能力)の準備を進めようという日本は、このナショナリズムというものに、どう対処すべきかを考える時期に来ているのかもしれない。