少子化対策と温暖化対策の裏にある不都合な真実 本当に「異次元」なのは?
人口爆発 vs 少子化対策
僕は長いあいだ、建築様式の変化を研究してきたのだが、19世紀になると、それ以前とはまったく異なる、鉄とガラスとコンクリートによる、装飾のない平面、直線、直角で構成された、いわゆるモダニズムの建築が登場する。 そしてこの近代様式の建築が世界に普及する過程で、地球人口が爆発的に増加し、大気中の炭酸ガス濃度も、また年間平均気温も爆発的に高くなる。一般の人はさほどにも感じられないかもしれないが、横軸に数千年、数万年という長期の時間をとって、縦軸にそれら(人口、CO2濃度、平均気温)をとってグラフ化すれば、緩慢な変化でほぼ水平だった線が19世紀あたりから急速に上昇しほぼ垂直になる、まさに爆発的な増加なのだ。 つまりわれわれは人口爆発の中に生きているのであって、その過剰な人口によって、飢餓や貧困や、また温暖化による異常気象も発生する。近代とはそういう時代なのだ。このように、地球の上に人間が溢れ出しているときに、それぞれの国が人間を増やそうと躍起になるのは、果たして正義だろうか。
先進国は減少、途上国は急増
伝統的な社会は多産多死で人口が安定しているが、近代化によって衛生、保健、医療が向上し、死亡率(特に幼児の)が減り、多産少死の社会となって人口が急増することは、ほぼ実証されている。その後、少産少死の社会となって人口は再び安定すると思われていたが、近年はむしろ減少に向かうケースが多く報告されている。 しかしながら、先進国は人口が減少傾向にあっても、アフリカなどの途上国ではまだまだ急増中で、地球の人口爆発が止まったわけではない。そういった国々の、人口増加を抑えること、あるいはCO2を多く排出する工業文明の発展を抑えることは、人道的にも難しい。そう考えれば先進国の人口減少は唯一の光明ともいえるのだ。戦争や疫病や自然災害といった大悲劇で人口が減ることに比べれば、出生率が下がるのはありがたいことなのである。 とはいえ現在の地球において、人間社会の経済や福祉は国単位で運営されている。そこに問題が生じる。ある国の急速な出生率低下は、生産年齢人口の減少によって経済を支えられなくなる。日本はもちろん、多くの先進国あるいは新興国がこの問題に直面しているのだ。 経済学的に考えれば、生産人口の減少傾向にある先進国と、人口急増中の途上国のギャップを解消する手段は、貿易と移民だろう。貿易は物の移動による、移民は人の移動による、国際分業である。しかしこれも、最近の国際情勢は閉鎖的な自国主義に向かう傾向である。出生率を上げることに成功しても、それが生産人口の増加に転じるのはだいぶ先だ。そう考えれば当面は、一人当たりの生産性を上げることが不可欠であろう。