激しさを増す水害に思う 温暖化という「新しい風土」に「新しい居住文化」を
日本の風土と住まい
建築の基本は風土である。住まいの様式も風土から来る。 日本の風土的特質を述べれば、気候的には高温多湿、地勢的には山と川が圧倒的で、海に囲まれている。平地が少なく、しかも稲作の国であるから大きな平野には水田が広がり、居住可能な土地はかなり制限されてきた。 現代でも、平野あるいは盆地に位置する大都市から少し離れると、山林を造成した郊外住宅が建ち並び、もっと離れると、道は山にかかりその山際の川に沿って住宅が軒を連ねる。ほとんどは木造一戸建てで小さな庭をもつ。こういった立地の家は、川の氾濫と土砂崩れに弱い。 一方、平野部の大都市はどうだろう。土地が狭いから家が密集する。たとえば東京は、江戸時代から「火事と喧嘩は江戸の花」といわれ、明暦の大火、関東大震災、東京大空襲などで、火災による膨大な死者を出している。もちろん平地といえども、集中的な雨には排水が間に合わず、川の堤防が決壊すれば大変な被害になる。 日本は地震も台風も毎度のことで、地震には火事と津波が伴い、台風には強風と大雨が伴う。この国の風土は、自然と共生する繊細な美意識を育んだ反面、多種多様な自然災害によって人々を苦しめてきたのだ。
木と草の文化
それでも日本は「木の文化」の国であり、人々は木造一戸建てに固執してきた。これだけ文化・文明が発達した国で、明治(近代)になるまで煉瓦造建築がなかったというのはきわめて珍しいことなのだ。その原因はいくつかあるが、主として建築に適した樹木が豊富であったことによる。ヒノキやスギといった建築樹木の風土といってもいい。 近代になっても日本人の夢は、アパートや団地やマンションより、小さくとも木造一戸建ての家をもち、畳の部屋から下駄をひっかけて庭に出て、植木に水をやることであった。 都市に城壁がなかったのと同様、家にも防御の感覚が薄く、鍵はすぐに開けられ、火災にも水害にも弱い、浮き草のような暮らしである。まさに「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず…世の中にある人とすみかと、またかくのごとし」(『方丈記』)なのだ。 近代技術で造られた道路や橋や鉄道や堤防といった土木構造物はインフラ(社会共通資本)と見なすが、それぞれの建築をインフラとは見なさない。その意味で、欧米だけでなく、中東や、あるいは他の東アジア地域に比べても、一般的な日本の個人と家族は、資産としての家を所有してこなかったといえる。庶民を「民草」といい、その中の志あるものを「草莽」というように、日本の国民とその家は「草」であった。