「トイレに大量の血が」大腸がんが肺に転移で“余命2年半”から諦めずに回復した奇跡の漫画家
「今思えば、痛みがないのに出血するっておかしいことなんです。最悪の結果にたどり着くまで、私にはいくつもの判断ミスがありました」 【画像】大腸にモンスターが…漫画家・くぐりさんの衝撃体験 そう振り返るのは、漫画家のくぐりさん。異変に気づいたのは2019年の夏ごろ、37歳のときだった。排便後のペーパーに毎回血がべっとり。しかし、くぐりさんはその2年前に大量出血を経てイボ痔の手術を受けていたため、痔の再発と自己判断していた。 「お尻から血が出る=痔だと思い込んでいました。それが一番の大失敗でしたね」(くぐりさん、以下同)
腸を覆う“モンスター”
当時はまだ漫画家デビュー前で、平日は事務、週末は似顔絵講師などの仕事を掛け持ち。子育てもあり、寝る時間を削って漫画を描く多忙な日々だったため、病院の受診を後回しにしていた。そうこうするうち、下血以外にも身体に異変が起こり始める。 「顔に血管が浮き出て、腕が上がらなくなったんです。それでも、寝不足のせいかな、四十肩かなと思っていて」 さらに微熱が続き、下血量もどんどん増えていった。そんなある日、実家で夕飯を食べて帰宅後、母から電話が。 「私が使用した後のトイレに大量の血が残っていたようで、あれはただ事ではないと。すぐに病院に行くようにと怒られました。そのときもなお“明日仕事休めるかなぁ。痔だと思うんだけどなぁ”なんて思っていました」 しかし肛門科診察の結果、痔ではないことが判明し、大腸内視鏡検査を受けることに。消化器クリニックの担当医も「痔の再発だと思うけどね」との見立てだったが、腸にカメラを入れた途端、無言に。ふとモニターに目をやると、そこにはグニャリとした“何か”が腸を埋め尽くすようにして映っていた。 「瞬時に、“これはやばいのでは”と思いました」 数日後、告げられた病名は、大腸がん─。 「先生の険しい顔つきでうすうす予想していたのですが、ハッキリ宣告されると、ズーンと落ち込みました」
吐き気地獄との闘い
しかし、衝撃はこれだけではなかった。さらに全身の検査をして明らかになったのは、大腸がんステージ4、肺への多発転移。手術は不可。できる治療は、化学療法(抗がん剤)のみという、厳しすぎる現実だった。 「膝から崩れ落ちるようなショックに襲われました。大腸がんだけでなく、肺への転移。死刑宣告を受けたような絶望感で、食べ物も喉を通らなくなり、死の恐怖に怯え、泣き続けました。家族もみな落ち込み、夫は痩せてげっそりしていきました……」 主治医から提案された治療内容は、4種の抗がん剤を投与し、さらにレボホリナートという作用増強の補助剤を足すというもの。くぐりさんはまだ若く、副作用にも耐えられると判断されたようで、最も強い抗がん剤のメニューに。 「医師の説明では、“抗がん剤が効いて肺の転移腫瘍が減れば、原発(直腸)も手術可能になる可能性がある”と。本当に不安しかありませんでしたが、生きるために治療を受けようと決意しました」 そんなときに心の支えとなったのが、がん緩和専門看護師と臨床心理士の女性2人だった。治療期間中、たびたび話を聞きにきてくれたという。 「主治医には相談しにくい悩みや不安を聞いてもらったおかげで、心の負担が軽くなりました。それに、私は末期がんという認識だったのですが、“ステージ4が一概に末期がんとはいえない”と教えていただいたことで、“まだ自分にはできることがある”と少し前向きになれました」 抗がん剤治療は、3泊4日入院し、点滴で投与。退院後2~3週間空けてまた入院というペースで、全26回行った。その副作用は想像を絶する過酷さだったという。 「私の場合は吐き気が強く出て、吐き気止めの薬をフルに使ってもダメで。抗がん剤が身体に入ってくると、涙、鼻水、つば、汗と、体中からいろんな体液が大放出。横になっていることもできず、少しでも身をよじると吐き気が襲ってきます。身の置き場がないとはこういうことかと」 さらに、点滴後は脱毛や味覚障害も。 「髪が抜けたのもショックでしたが、味覚障害がこんなにつらいとは思いませんでした。口の中が常に苦くまずく、水もお茶も、すべて異様な味に変わってしまうんです」 退院後も倦怠感や味覚障害が続いたが、次第につらい副作用が出るのは投与直後の1週間程度に。2週目から次の入院までの期間は身体を起こせる日もあったため、その休薬期間中に、一度は諦めかけた漫画の執筆を再開。このころには、気持ちにも変化が起きていた。 「仕事も辞めてやることがなくなったら、自分の内面を見つめるようになって。そうしているうちに、自分は幸せだと気づきました。がんになっても生きている、支えてくれる家族がいる、好きな漫画も描ける。以前は幸せになりたいと考えていましたが、すでに幸せだったんだなと」