非常時に決断できない日本社会 コロナ問題の変化スピードについていけない理由
緊急事態宣言が解除されてから1か月以上が経過しましたが、ここにきて東京都などでは繁華街を中心に、感染の確認が相次いでいることが毎日のように報道されています。 建築家で、文化論に関する多数の著書で知られる名古屋工業大学名誉教授・若山滋氏は「一方で、正常化しつつある街の動きが伝えられていて、チグハグな感じを受ける」といいます。そのチグハグさはどこから来るのでしょうか? 若山氏が独自の「文化力学」的な視点から論じます。
テレビ番組のチグハグ
しばらくのあいだ、新型コロナウイルスに対するテレビ報道がチグハグであった。 ライブ番組(生放送)では、東京都を中心に新規感染者数が増えていることを伝え、事前につくった録画映像では、自粛要請解除によって正常化しつつある街の動きを伝える。そのあいだに「にもかかわらず」の言葉がない。つまり録画映像をつくった時期と放送される時期との状況のズレが出ていた。ディレクターのアイディアが、番組の制作会議と上層部の承認を経て録画映像としてまとめられ、オンエアされるまでに、コロナをめぐる事情が変化してしまうようだ。今ではテレビ局も組織化していて、有能なディレクターやメインキャスターの即時的な判断では動かなくなっているのかもしれない。 こういった昨今のコロナ現象から、日本社会の「決断スピード」の遅さが見えてくる。
行政の対応はもっと遅い
行政の対応はもっとチグハグだ。 新規感染者の数が減り、緊急事態宣言や自粛要請が段階的に解除される時点では、いったん収束を見せた感染者数が、再び増加傾向に転じている。例えば東京アラートでも、ちょうど解除するころから感染者数は急増に転じた。担当者の方針が、政策会議と専門家の議論を経て行政庁の方針となり、トップが解除を宣言するまでに時間がかかりすぎるのだ。 「いくつもの会議と何人ものハンコ押し」という日本社会の政策決定システムが、コロナ状況の変化スピードに追いつかないのではないか。 振り返ってみれば、中国の武漢で新型コロナウイルスが広がっているという情報が入ってのち、その武漢からの、あるいは湖北省からの、あるいは中国からの入国を制限するのが遅かった。欧米で広がってのち、欧米からの入国を制限するのも遅かった。クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」号の対策も、PCR検査体制の充実も、隔離のためのホテルの確保も、病院の感染者受け入れ体制整備も、少しずつ遅かったように思える。医療関係の現場は頑張っているのに、政府中枢の決定がお役所仕事だったのだ。 しかしここで言いたいことは、政府の対応批判ではなく、日本社会の決断と行動のスピードの問題である。安倍政権は危機管理に強いというイメージをもっていたが、イメージ倒れであったようだ。福島第一原子力発電所事故の教訓があったにもかかわらず、イザというとき迅速に対応できないという日本社会のシステムは、変わっていなかったのである。 このことは、コロナへのマスコミや政府の対応だけではなく、デジタル化に対する一般社会の対応にも表れている。工業社会の変化と情報社会の変化はスピードが異なる。工業社会の覇者であった日本は、その時代に築き上げた精緻なシステムに足を取られ、新しい時代のスピードについていけていない。いわゆる「デジタルトランスフォーメーション」が進んでいないのだ。