「黒川元検事長問題」と「西山事件」 結果的に問題の本質を隠してしまうマスコミ報道
東京高検の検事長だった黒川弘務氏が緊急事態宣言下に産経新聞や朝日新聞の社員と賭け麻雀をしていたことが週刊文春によって報じられました。しかし、この報道前から、黒川氏を巡って定年延長の問題で大きな批判が巻き起こっていました。 建築家で、文化論に関する多数の著書で知られる名古屋工業大学名誉教授・若山滋氏は、問題がマージャンや黒川氏の人柄のことに矮小化されることを問題視しているようです。若山氏が独自の視点で論じます。
問題は賭け麻雀ではない
週刊文春のスクープを契機として、黒川元検事長の賭け麻雀問題が大きく取り上げられた。 どの程度の賭け金なら賭博罪容疑で立件できるのか、緊急事態宣言下であったのに「三密」を避けることを守っていたのか、訓告という軽い処分の妥当性と退職金の額や人柄などが論じられたが、僕はむしろ検事と新聞記者との関係が「密」であることが気になった。 しかし事の本質はそんなことではない。麻雀の賭け金や黒川氏の人柄が問題なのではなく、現政権が検察を囲い込もうとした事実なのだ。 あらゆる省庁のトップ人事を握ることによって、首相官邸が官僚を直接支配する。その結果として、過度の忖度が横行し、実際にデータ改竄や証拠隠滅にまで及んだことが問題なのだ。官邸の影響力は、本来政権に距離をおくべき日銀やNHKにも及んでいた。今回その支配力が検察トップにまで及ぶに至って、多くの国民に「そこまでやるのか」という驚きさえあったのである。 黒川氏の賭け麻雀がクローズアップされることによって、むしろ問題の本質が隠蔽されてしまうような気がする。
沖縄密約のデジャブ
何か既視感(デジャブ)がある。 このデジャブのもとは何だろう。関係者のスキャンダルによって問題の本質が隠されてしまったことを、われわれは過去にも経験している。そうだ。沖縄密約問題だ。 1972年の沖縄返還において日米間に密約があったということを毎日新聞の西山太吉記者がスクープして大変な事件となったのだが、その後、西山記者と機密を漏らした外務省の女性事務官との不適切な関係が発覚し、一挙に個人的なスキャンダルとなって、マスコミと国民の眼が問題の本質からそれてしまった。 密約とは、核兵器の持ち込みに関するものと、基地の撤去費用を日本が肩代わりすることに関するもので、当時のニクソン大統領と佐藤栄作首相のあいだに密約があったことは、のちにアメリカで公開された公文書などの調査によって明らかになっている。 サンフランシスコ講和において独立から積み残されていた沖縄が本土に復帰することは、いわば戦後日本の祝賀的総決算であった。吉田の対米講和、鳩山の日ソ共同宣言、岸の安保改定、池田の高度成長など歴代総理の業績に比べて、長期政権のわりにこれといったものがなかった佐藤栄作にとっては、喉から手の出るような、歴史に残る大きな功績となるべきものであった。 西山記者がスクープしたのは、基地撤去費用に関する密約の証拠であったが、そういった事実を国民に隠しての返還というのは大きな問題である。しかしマスコミはその後の西山記者と外務省女性事務官のスキャンダルに飛びついて、密約事件は機密漏洩事件に変質してしまったのだ。 今回も、黒川氏の麻雀スクープが、問題の本質を隠すことになってはなるまい。