「スポーツ欄になかなか載らない時期も」車いすテニス・国枝さん会見2月7日(全文3完)
昨年は純粋にテニスができた
昨年、なんでまあまあ、グランドスラム3勝したりだとか、調子良かったかなっていうふうに思うと、今まで、スポーツとして皆さんの目を変えたいだとか、そういったところにプレッシャーを感じてたのが、1年間まったく感じなかったんですよね。1回もそういった気負いを感じることなくプレーできてて、本当にようやくなんか純粋にテニスができて、相手と向き合えるようになったのかなって自分の中で思うこともあって。そういう闘いをしていたら、もう現役も最後の時期に到来していたのかなっていうふうな思いがあるので。だからこれからの上地選手や小田選手だとか、そういった若い選手には、本当に純粋にスポーツとしてのフィールドが、土台ができたのかなっていうふうに思うと、そこは、そういった環境を用意できてよかったかなっていうふうには思うところですね。 もう1個はなんでしたっけ。ああ、自分に掛ける言葉ですか。いや、こういった、ね、まだ11歳のころって僕自身もパラリンピックを知らなかったと思うんですよ。なんで車いすテニスを始めたかなっていうところも、もともと、ちょうど『SLAM DUNK』がはやってて、バスケットブームで、僕自身もバスケやりたかったのに近くにバスケのチームがなくて、母に、母の趣味がテニスだったので、テニスコートにちょっと無理やり連れられてってところが始まりだったんですけど。そこで初めて車いすテニスっていうものに知り合って、やってみてっていうところから入っているのと。 また現代では、そういったスポーツがある、国枝がいるだとか、そういった情報があふれてるわけで、まったく時代は変わりましたよね。皆さんがパラリンピックって知ってますし、車いすテニスを知ってると。これは、僕自身が車いすテニスを始めて28年になりますけど、その28年で本当に変わったなと思うところです。 司会:以上をもちまして質疑応答を終了とさせていただきます。柳井社長、国枝選手、ありがとうございました。どうぞご降壇ください。 (完)【書き起こし】車いすテニス・国枝さん会見2月7日