「スポーツ欄になかなか載らない時期も」車いすテニス・国枝さん会見2月7日(全文3完)
苦しい局面をどう乗り越えてきたのか
記者:NHKの【フル**00:39:01】と申します。国枝選手、現役生活お疲れさまでした。国枝選手、素晴らしい成績の裏で苦しい局面とかもさまざま経験されてこられたかと思うんですけれども、そのときにどうやって乗り越えてこられたかっていうのを。特に国枝さん、言葉の力、「俺は最強だ!」とかっていう言葉の力を大切にされてらっしゃるかと思うんですけど、何か自分を奮い立たせるものが、言葉などありましたら、教えていただけますでしょうか。 国枝:2016年も、王者の看板を、若手の選手に渡ってしまったときでも、その「俺は最強だ!」っていう言葉をラケットから外そうかなっていうふうに、あの当時も悩みましたね。でも外さなかったんですね、最後まで。やっぱりそれを外した瞬間に、もう戻ってこないなっていうふうに自分自身も感じたので、それは最後まで外すことはなかった。2006年から23年までラケットには、その「俺は最強だ!」っていう言葉を張り続けて、何度も何度も弱気になる部分は、テニスをやっていたらありますし、そういった中でも、「俺は最強だ!」っていうふうに自分自身、断言する。そういったことで、いろんなそういった弱気の虫を外に飛ばしていけたかなっていうふうには思いますね。それは最初から、あの2006年から最後までやり切れたかなって思うことの1つです。 記者:ありがとうございました。 司会:ありがとうございました。では引き続き、挙手をお願いいたします。ちょっと、ちょうど私の陰になっている方たちも手をあげていらっしゃると思いますので、じゃあ両手をあげてくださったそちらの方、お願いいたします。
もう一度、小田選手と戦いたいという気持ちは?
記者:日経新聞の摂待と申します。国枝さん、お疲れさまでした。さっきちょっと名前の出ました小田選手。もう一度、小田選手と戦ってみたかったなってお気持ちはないでしょうか。特にグランドスラムの、例えば、理想であれば決勝とかで2人で戦って、また車いすテニスの魅力を発信するような。そこまでやりたかったみたいな気持ちはありませんでしたか。 国枝:もちろんないこともないですけど、それ以上に自分自身が先に満足しちゃったかなっていうところが大きいですかね、今回は。 記者:よろしければ、じゃあ小田くんには、小田くん、ちょっと全豪でいろいろ話してたんですけども、どんな、どういう形で、引退のことをどのタイミングで伝えて、彼とどういうやりとりをして後を託したのか教えていただけますかね。 国枝:全豪でダブルスを組む予定だったので、そこを、約束を破ってしまったところはすごく申し訳ない気持ちでいっぱいだったんですけど、ちょうど、彼がたぶんオーストラリアにたつ日なんじゃないかな、1月の4日に電話で話して、自分自身はもう、やはり昨年のウィンブルドンで、実はあのときも、ウィンブルドン優勝して、そのままロッカールームで凱人に話してたんですね。もう終わったわと、これでっていうことは、実は言ってあって。その話を今年もその電話のときに、あのとき言ったけどっつって。もうこれ以上、自分自身がテニスを競技でやることはないかなっていうことを伝えて、彼自身も、これから車いすテニスを引っ張っていってくれということを伝えましたね。 司会:ありがとうございました。ここで、お時間もございますので、残り3名の質問とさせていただきたく思います。ご了承ください。では挙手をお願いいたします。先ほど質問してくださった方の、ステージから向かって左側のピンクのマスクの方ですね。お願いします。