ミャンマーで取材中拘束「男2人に銃口を向けられた」ジャーナリストの久保田さん会見(全文1)
拘束されたときの思いは
司会:(英語) 久保田:(英語) 通訳:(英語) 司会:会場からあれば、会場から先にマイクを使って挙手と所属と。なければ、オンラインの質問が優先されます。拘束されたときの思い、フジテレビからです。行動を、今から思えば変えることはありますか。 久保田:行動を変えるというのは、そうですね、まず拘束というか、逮捕されたときの一番初めに浮かんだのは、非常にまずいことになったということで、頭が真っ白になるようなところでした。と同時に、それまでに。 通訳:そこでいいですか。すいません。 久保田:はい。そのときの状況判断が甘かったなというふうに、今でも思っています。ですので、そのときの、質問に答えるならば、振り返ってみたらリスクをより精査し、違った形を取るべき、もしくはその場所に行くという判断自体が甘かったというふうに考えています。
ご自身の待遇はミャンマー政府の宣伝のためと思うか
司会:Guardianの記者から、ご自身の待遇というのはミャンマー政府にある待遇がそれほど抑圧的ではないという、ジャーナリストに対する待遇の表れでしょうか。それとも、そのときだけのPR、宣伝効果としてそうやったんでしょうか。プロパガンダであったでしょうか。 久保田:はい。宣伝効果として使われたということは間違いないと思います。私やほかの一部の人々が釈放されていても、いまだに1万2000人以上が不当に拘束されているという状況は変わりません。 司会:会場からの質問が出ますので、日本語であれば英語に訳さなきゃいけないので、ちょっとお待ちください。 久保田:はい。
まだ拘束されているテインダンさんの様子は
記者:Koji Igarashi, Freelance.Let me speak in Japanese.報道によると、日本で育った在日ビルマ人、テインダンさん、まだ拘束されていると思うんですが、彼が久保田さんの通訳をされていたということがありました。彼の様子は今どんなふうなのか、教えていただけますか。 久保田:テインダンさんは、私が大使館経由で家族と電話をする際、その通訳でした。つまり、監獄側が私の会話を日本語からビルマ語に訳し、それを記録するための通訳でした。彼の様子は非常に波があるように思えました。それはつまり、あるときは非常に元気というか、私のことも常に励ましてはくれていたんですけども、あるときは非常に気分が落ちて、そろそろ限界ですと、そろそろ限界ですということを伝えてほしいというふうに言ってきたこともありました。彼はすでに1年半以上、獄中で過ごしています。 司会:(英語)影山さん、お願いします。