ミャンマーでの人権侵害「日本はより強い非難を」ジャーナリストの久保田さん会見(全文2完)
今年7月にミャンマーで抗議デモを取材中に拘束され、およそ3か月半ぶりに解放され帰国したジャーナリストの久保田徹さんが、28日午後2時から日本外国特派員協会(東京・千代田区)で記者会見を行った。 【動画】ミャンマーで拘束 ジャーナリストの久保田徹さんが会見(2022年11月28日) ※【**** 00:35:30】などと記した部分は、判別できなかった箇所ですので、ご了承ください。タイムレコードは「ミャンマーで拘束 ジャーナリストの久保田徹さんが会見(2022年11月28日)」に対応しております。 ◇ ◇
病気が蔓延する可能性が非常に高い場所だった
記者:(英語). 日本語に訳す? 通訳:訳さないでいいはずなんで。 久保田:分かりました。その留置場の状況はおっしゃったように、インセイン監獄よりさらに悪い状況で、具体的なところは少し先ほど申し上げたとおりなんですけど。見たものとしては、まず暴力を振るわれた形跡のある囚人の姿は何度か目にしました。 通訳:インセインよりも留置場のほうが悪いですね? 久保田:はい、悪いです。目が真っ赤に充血して、あざができている少年が運ばれてくるのも見ました。先ほども説明した、2メートル掛ける5メートルほどと言ったんですけど、そこは私がいたところで、その隣にもう1つ、倍ぐらいの大きさの場所があり、そこの状況は見えなかったんですけれども、そちらから運ばれてくる、連れていかれる人々が、警棒のようなもので暴力を振るわれているところは見ました。非常に狭い部屋に大量の人が詰め込まれているので、寝るときも体が折り重なって寝るような形になります。衛生的にも何か病気が蔓延する可能性が非常に高い場所だなというふうに考えていました。以上です。
ジャーナリストとしてどんな影響があったか
司会:ジャーナリストとしてご自身の経験、個人的に、また職業人、ジャーナリストとしての職業人にどんな影響があったと思いますか。 久保田:私はジャーナリストでもあり、主にドキュメンタリー映像作家というふうに、ドキュメンタリー・フィルム・メーカーというふうに名乗ることも多いんですけども、そういった仕事というのはやはり他者の立場で考えてみるということが非常に大きな部分を占めるというふうに考えています。そういった意味では、今後も世界では自由を奪われる人々がどんどん出てきているし、今でも奪われ続けている人々が多いと思います。そういった人々に寄り添うという意味では、これまでよりかは少しだけ理解、そういった人々の気持ちが少しだけ理解できるような気はしています。例えば、私は拘束されている間も考えていたのは、以前から取材して一緒に映像を作ってきた、日本の入管でつらい経験をしてきた人々のことでした。彼らとまた会って話すことができますし、それで少しだけ、もう少しだけ彼らのことが分かるような気はしています。 司会:(英語)お願いします。(英語)、どうぞ。