慕われる監督と嫌われる監督 森保、落合から考える指導者の資質とは?
慕われる政治家・嫌われる政治家
さて話を変えて、一国の指導者としては、慕われる政治家と嫌われる政治家、どちらがいいのだろうか。 戦後日本で、嫌われた首相といえばまず吉田茂ではないか。ワンマンと呼ばれ、カメラマンに水をかけたり、「バカヤロー」とつぶやいて国会を解散したり、人を喰った言動が目についた。しかしGHQ支配のもとで日本人を飢えから守り、軍備より経済という路線を確立し、曲がりなりにも独立にこぎつけた業績は否定できない。 岸信介、佐藤栄作の兄弟も、60年安保、70年前後の学園紛争における反体制運動を考えれば、とても慕われたとはいえない。しかし思想と立場による評価は別にして、岸は日米安保改定、佐藤は沖縄返還を成し遂げた。 中曽根康弘もバックに田中角栄という権力者(ロッキード事件発覚後も強い力を有し闇将軍と呼ばれた)がいて初めのうちは人気がなかったが、国鉄改革を始め「第2臨調」によってその後の行政改革に道筋をつけ、レーガン米大統領、サッチャー英首相に協力して、冷戦終結に寄与した。 逆に、華々しい人気があった首相は田中角栄と小泉純一郎だ。もちろん批判もあるが、田中は日中国交回復、小泉は郵政民営化を成し遂げた。 安倍晋三は支持者と非支持者がハッキリ分かれた。また一般に死後は現職のときより評価が高まるものだが、彼の場合は統一教会との関係が露呈することによって逆になった。 そしてその間に、軽んじられて何もできなかった首相がたくさんいることを考えれば、政治家も、慕われるか嫌われるか、どちらかである方が何らかの業績を残すようだ。 外国の政治家では、ケネディとニクソンの対比が思い浮かぶ。ケネディはアメリカ国民に圧倒的な人気があったし、今もある。ニクソンは対照的に人気がなかったが、ウォーターゲート事件によって本当に嫌われた。しかしケネディ政権ではベトナム戦争はエスカレートし、キューバ危機も一触即発であった。ベトナム戦争を終わらせ、中国との関係を改善し、結果的に冷戦終結への道を拓いたのはニクソンであった。 実は近代史の中で、熱狂的な国民の支持をえたのはアドルフ・ヒトラーである。 そう考えれば、政治家は慕われるより嫌われるぐらいの方がいいのかもしれない。というより、政治においては「人気」というものが危険な要素をはらんでいるというべきだろうか。 民主主義という制度においては、人気で指導者が選ばれ、時としてナショナリズムなど国民の情緒的なところを煽った指導者が力をもつ。この欠点にどう対処するのか。簡単に答えが出る問題ではないが、それは国によってそれぞれ異なる文化の力にかかっているように思われる。民主主義とは、口でいうほど簡単なものではない。 落合あるいは森保のような政治家が求められる、とはいえない。しかし彼らが共通してもっている資質は政治家にも(あるいは経営者にも)求められる、とはいえるだろう。 要約してくり返せば「情熱、観察、独創、熟慮、決断、信念、そして人を活かす」である。