偉業達成裏に”囲み取材嫌い”の松山英樹が貫いたぶれないスタイル
かつて“ジャンボ“尾崎氏が自分のかなえられない夢を託したゴルファーがいた。現在シニアツアーで活躍中の川岸良兼。180センチを超える体から、ドライバーヘッドがパーシモンの時代に300ヤードのショットを放ち「怪物」と言われ、鳴り物入りでプロ入りしたが、気の優しさから大成しきれなかった未完の大器。屈強な外国人と戦うために彼らに見合う「サイズ」が必要―。それが尾崎氏が導き出した答えだった。 180センチ、90キロ。恵まれたサイズを持つ松山は、海外で勝つための周到な準備を進めてきた。2014年から飯田光輝トレーナーと専属契約を結び、その肉体を徹底改造した。ツアー中には、それが真夜中であっても、ラウンド開始の3時間半前には起床して入念なストレッチとトレーニングを行う。世界に通じる飛距離、4日間のラウンドに耐えうる体力を養うだけでなく、関節の可動域を広げ、泣かされ続けてきた故障予防を目的としたルーティンである。 土台を築き、テクニックを磨いた。特にアイアン。ドライバーショットはもちろんだが、バーディーを奪うため、より易しくパーにまとめるために必要なのはアイアンショットだ。200ヤード先にあるピンを半径ワンピン(2.5メートル)以内の誤差で狙えるか? その技量は世界でも1、2を争う。マスターズ優勝までに日本人最多の米ツアー5勝を重ねていたのは、類い希なショット力の証明でもある。 支えたのは、想像を絶する練習量に他ならない。大会期間中、午前組で約5時間プレーした後、午後の早い段階でホールアウトするとドライビングレンジ(打撃練習場)、チッピングエリア(アプローチ練習場)、パッティンググリーンで3時間以上は当たり前、時には日暮れまで球を黙々と打ち続ける。マスターズでも最終日までホールアウト後も練習を止めなかった。大学時代から英語を勉強、2015年にはフロリダ州オーランドにトレーニングルームを完備した7LDKの自宅を購入して米メジャーで勝つための前線基地を作った。この地にはタイガー・ウッズも、ロリー・マキロイも自宅を持つ。 海外で勝つために進化し続けてきた松山だが、貫いたのはぶれないメンタルである。ゴルファーとして超一流の実力は、頑固さ、偏屈さの裏返しでもあるのかもしれない。トップアスリートに共通するのは、「人間的に丸くなったら弱くなる」という、一種の狂気。オーラだ。松山は、その「丸さ」を求めようとしない。ある意味、頑固。明徳義塾高、東北福祉大とアマチュア時代から口数が多い方ではなかった。プロになってもそれは変わらなかった。 良くも悪くも人を見る。心を許した人には、素顔を見せ、心優しい気配りをするのだが、自分が認めない人には、悪い言い方をすれば無愛想。繊細でシャイな性格も手伝い基本的には”取材嫌い”だ。 特に複数の記者が輪になって次々と質問をなげかける”囲み取材”が苦手だ。それが原因で一部の取材陣とも“冷戦“のようになったり、トラブル寸前に発展することもあった。 海外ツアーでは、日本から訪れる取材陣は、連日の囲み取材を求めるが、練習ラウンドでの取材対応は1日のみとなっている。練習に集中したい松山が「毎日は勘弁して欲しい」と願い出て“決まり”となったものだが、「日本から来ているんだから協力してくれても」と訴える取材側との間に険悪な空気が流れたこともあった。 数年前の海外メジャーでイーグルを決めたときには、その自己分析を報道陣から聞かれ、「適当に打ったら適当に入った」と答え、カチンときた記者と一触即発の雰囲気になったこともある。