なぜ3歳の皐月賞馬エフフォーリアが天皇賞・秋を制し4歳の3冠馬コントレイルが敗れたのか…横山騎手の手腕とスタートの誤算
コンビを組んだ屈指の理論派、福永祐一騎手もスタートを決め、エフフォーリアの直後につけるという作戦を打ち明けていた。「距離はベスト」と自信も持っていた。しかし、2頭の間には別の2頭が収まる隊列となり、前半は8、9番手の最悪のポジション。 それでも福永は、リカバリーして徐々に位置取りを上げて向正面ではエフフォーリアの直後をキープして追撃態勢を整えた。直線で追い出してからは、一瞬、弾けるかのような勢いもあったが続かず、初動の誤算が最後の最後に響いた。 「スタートは練習していたのですが、ゲートの中の体勢が良くなかった。理想は勝ち馬のポジション。スタートを上手に切ることが必須条件だったが、うまくいかなかった。道中はタメがきき、最後もいけると思ったのですが…あと100メートルでなかなか差が詰まらず、苦しくなって内にもたれる仕草を見せていました。休み明けでも状態は素晴らしかったですしゲート以外は良かった。なんとしても勝ちたい気持ちがあったのですが…」 内にもたれたのは、初めて背負う重量58キロの影響もあったのかもしれない。 グランアレグリアのクリストフ・ルメール騎手が「柔らかい馬場で、いつもと反応が違いました」と話したとおり、良馬場の発表となったが、朝から降っていた無情の雨も敗因のひとつだったのかもしれない。 嫌なジンクスもあった。7か月の休養明けで馬体重はマイナス8キロの464キロと仕上げは文句なしだったが、ディープインパクト産駒で、天皇賞・秋を制したのは、2014年スピルバーグのみだった。日本ダービーを勝ったディープインパクト産駒に限ると、天皇賞・秋では、過去20戦で、1、2着はゼロという黒歴史がある。 さらに過去の3冠馬の歴史をひもとけば、天皇賞・秋を制したのは、意外にも1965年シンザン、84年ミスターシービーの2頭だけ。1985年の“皇帝“シンボリルドルフは13番人気のギャロップダイナの大駆けに屈し、1995年のナリタブライアンは阪神大賞典以来のぶっつけで挑んで12着と惨敗していた。 コントレイルは、この天皇賞・秋と、11月28日のジャパンカップを最後に引退、種馬生活に入る。 あるベテラン調教師は、こんな推測を口にしていた。 「陣営もコントレイルに対して、どこか早熟という印象を持っているのかもしれない。ピークは、3歳のダービーではないか。種牡馬としての価値を下げることになりかねないので、その前に引退を選んだのでは」 3連敗となったが、コントレイルには、まだジャパンカップで雪辱のチャンスがある。 矢作調教師は、「休み明けだったが、いい仕上がりだったと思います。昨年より体調が良くなり、馬に活気もありました。またラストランに向けしっかりと仕上げ直します。次は負けられない。勝って終わりたい」とラストランでの雪辱を誓った。 一方の3歳にして最強の称号を手にしたエフフォーリアの次走は年末の有馬記念になりそうだ。