「好き」という気持ちが、SNS上で踏みにじられたり蹴散らされてしまわないために。(レビュー)
好きなものについて、誰かに語りたい。 ライブ終わりの感動冷めきらない時や、本や漫画を読み切って余韻に浸っている時間など、「この気持ちを誰かに共有したい」と思うタイミングは、しばしば訪れるものではないでしょうか。 多くの人は、その気持ちを言葉にして発信する場として、XやインスタグラムなどのSNSを選びます。 しかし、そのような個人の「好き語り」があふれ、それに対して個人が簡単に意見を述べられるSNSの世界では、「自衛」が非常に重要であると、書籍『「好き」を言語化する技術(三宅香帆著)』で著者は語ります。 編集者として出版社に勤めながら、古典文学や漫画やゲームなど、数々の「好き」についての発信を続け、23万人のXのフォロワー数を抱えるたられば氏も、長年インターネットで発信を続けた経験から、この書籍には「SNSで好きを語る心得と極意」が詰まっていると語ります。 *** SNSを始めたころ、すくなくともわたくしは「たくさんの人に自分の“好き”を広めたい」というような、たいそうな夢は持っていませんでした。いや……ええと、すこしは思っていたかもしれないし、結果的には似ているかもしれませんが、より正確に言うと「たくさんの人の目に触れるかもしれないけど、その中の一人でも二人でもいいから、分かりあえる人と自分の”好き”をきっかけにして繋がれればいいな……」というような、謙虚なんだか傲慢なんだかわからない目標を持っていたように思います。 大事なのは「一人でも二人でもいい」だったはずなのに、続けるうちに「見知らぬ人から叩かれるのはつらい」、「どうせなら見知らぬ人からだって嫌われたくない」、「どっちかといえば好かれるのは嬉しい」という気持ちが強くなり、だんだんと欲張りになっていき、呟く内容も「たくさんの人向け」になっていきました。ああ、なんと欲深く、罪深いことよ……。いまも本当に、分かってくれるのは一人でも二人でもよいはずなのに。 「好きを伝える」という行為は、大きなリスクをともないます。インターネットは人類の文明を大きく開かれた場所へ導いたし、SNSはたくさんの人と繋がれる素敵な場所ですが、「好き」というような大切な、宝物でいて、そのうえで脆くて柔らかい気持ちを晒すには、準備と訓練が必要だと、強く思います。なによりここは、自分の「好き」を変えてしまう(それはつまり自分の心や自分自身を丸ごと変えてしまう)「重力」の効いている場所なんだと。 わたくしが本書『「好き」を言語化する技術』に最も共感したのは、こうしたSNS時代の心の危機に、きちんと心配りがされているところでした。わたしたちはわたしたちの心を守る鎧を磨かなくてはならない。そうでないとあっという間に大切な気持ちは消え果てたり元の形がわからないくらい変わってしまったり、踏みにじられたり蹴散らされてしまう。そういうある種の絶望的な状況へ丁寧に目配りされているところです。 この本は、おそらくは著者自身が苦しんで身につけた「冒険」の手引き書なのでしょう。 次ページ〉〉SNSにおける「言語化」本の最適解のひとつ