「好き」という気持ちが、SNS上で踏みにじられたり蹴散らされてしまわないために。(レビュー)
古くから、私たち日本人は「好き」の言語化に向き合っていた
最後にひとつ。小倉百人一首には「恋」を主題にした歌が四十三首あります。百首のうち四十三首ですから、43%。アイルランド出身の日本文学者であるピーター・J・マクミラン先生は、かつて講演の枕で「日本王朝文学の43%は【恋】で出来ています」と語っていました。 (「好き」と「恋」は古典文学ファンにとってはまたこれひと悶着あるくらい深い溝があるフレーズなのですがその話をし出すともう2000字くらい必要になるのでここではそれは置いておいて) 日本人にとって、日本語にとって、「好きを語る」とは、かように長いあいだ試行錯誤が重ねられ、かつ馴染み深いものだったりします。 「逢ひ見てののちの心にくらぶれば 昔はものを思はざりけり」(権中納言敦忠/小倉百人一首 四十三番) 私訳/あなたと出逢ってしまったあとの今のわたしの心に比べれば、(出会う前のわたしの)かつての悩みなんて、なにも考えていないのと同じだったなぁ…。 同時代を代表するプレイボーイだったと伝わる藤原敦忠による、小倉百人一首有数のド直球恋歌です。 巨大な「好き」に出会ったとき、出逢う前とは自分がガラリと変わってしまうような体験をしたとき、陳腐で役に立たないものばかりが手に残っていてそれでも何か「ことば」をひねりださないといけないとき、きっと本書は役に立ってくれるでしょう。 できればわたくしも、SNSを始めたころ、「昔はものを思はざりけり」なころに、本書に出会いたかったです。いや、まだ遅くないか。むしろセーフか。間に合ったか。 [レビュアー]たられば(編集者) 協力:ディスカヴァー・トゥエンティワン ディスカヴァー・トゥエンティワン Book Bang編集部 新潮社
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