「極度の運動オンチ」だと思っていたら“発達性協調運動障害”だった 診断に辿り着くまでの小学生息子と母の苦悩
自転車やなわとびが極度に苦手な息子・ウノくんの「運動オンチ」に、不安を抱いていたマンガ家のオチョのうつつさん。小学校入学後は文字がうまく書けない、運動能力の差で友だちと対等に遊べないなど、息子の困りごとへの対応に悩んでいました。ある日、DCD(発達性協調運動障害)の存在を知り、医師の診断を受けたことで状況が一変しました。DCDとはどのような障害なのか、オチョのうつつさんにうかがいました。※後編<息子が「発達外来」に行くことをためらう夫に妻がかけた言葉とは? わが子が「DCD」と診断されたママ漫画家に聞く>に続く 【マンガ】運動オンチだと思っていた息子が「DCD」と診断されるまで(全16枚) ■走るのが遅いからと、1人置いてきぼりに ――最初に、息子のウノくんが周りの子と少し違うなと気づいたのは? ウノが3歳くらいの頃かな、お友だちが自転車に乗り始めたので、足蹴りの自転車を試してみたら、よろよろしてあっという間にこけてしまったんです。幼稚園のお遊戯では、みんなが「ジャーンプ!」と飛び跳ねるなか、ウノだけ「まったく体が浮いてないよ?」って。周りの子より、運動面の発達が2年ほど遅れているような印象を受けていました。 ――小学生になってからは、どんな様子でしたか。 入学後は友だち関係にも不安を感じるようになりました。「ウノは走るのが遅いから置いていっちゃおう」と言われたようで、1人でトボトボ帰ってきたり、ウノも次第に外遊びを嫌がるようになってしまって。教室では、文字の形の乱れを先生に指摘されたり、テストで点数がとれるのに、ノートが書けずに評価がされないこともありました。「ほかの子と比べてはいけない」と分かっていても、「周りの子ができているのに、なぜうちの子だけ?」という焦りで、悩みは深まる一方でした。何とか字をきれいに書けるようにさせなくては……と思いつめ、嫌がるウノに何度も練習をさせて、泣かせてしまうこともありました。 ――その悩みは何年生くらいまで、続いたのでしょうか。 3年生のときが一番つらかったですね。学校では褒められる機会がなくて、ウノはすっかり、やる気を失っていました。もともと明るくておちゃめな性格が、落ち込んで塞ぐようになってしまったんです。その頃、私も仕事が忙しくなった時期に重なり、仕事と家事をこなしながら、息子のフォローをする毎日。もうこれ以上どうしたらいいのだろうと、八方塞がりでしたね。