「昭和な大衆酒場」はなぜ時代を超えて愛されるのか--酒場詩人・吉田類が語る歴史 #昭和98年
ハイボールの分水嶺は昭和の大都会・浅草に
下町の大衆酒場で人気の飲み物といえば「チューハイ」。諸説あるが「焼酎ハイボール」を略したという説が主流のようで、下町で「チューハイ」や「ハイボール」といえば「焼酎ハイボール」のことを指す。 「終戦当時高価だったウイスキーの代わりに、安価で味の安定している焼酎を炭酸水で割ったさわやかな飲み口が受けたんだね」 最初に「大衆酒場」と名乗ったのは、浅草地区のお店だったという記録もあるそうだ。 「戦後の流行発信地だった浅草は、山の手ではウイスキーを入れるハイボールの中身が、焼酎に変わる境目でもあるんです。焼酎ハイボールに親しんだ下町ののんべえが、浅草でウイスキーのハイボールを飲んで『これはハイボールじゃないよ』なんて驚くこともあったと聞いています」 吉田が魅力的だと考える、大衆酒場の生んだ文化のひとつに「コの字カウンター」がある。 「カウンターが調理場をカタカナの“コ”の字のように取り囲むので『コの字カウンター』。働き盛りの単身者を受け入れてきた大衆酒場は、一晩で3回転するほどの忙しさだったそうです。できた料理を直接カウンターから渡せば時間も人手も節約できるし、客もさっと楽しんで帰ることができるという、合理性のたまものなんです」
昭和の名酒場の歴史はこれからも続く
ここ数年よく耳にするようになったのが、戦後から続く老舗大衆酒場の閉店や改装の知らせ。 「コロナ禍の影響も大きかったでしょうね……。今年は昭和に換算すると98年ですから、昭和40年代に開業した多くの店で創業者が高齢化していますが、大衆酒場は地道な努力が必要なだけに後継者の育成も難しい。当時は食べ物と飲み物さえ出せば客が押し寄せてきたけど今は事情が違います。だからこそ令和の今も続くお店の価値は計り知れない、文化財のような存在なんです」 名物居酒屋が軒を連ねる、東京・葛飾区の京成立石駅周辺も、再開発のため多くの店が移転や閉業を余儀なくされ、ニュースとなった。一方で、リニューアルを経てさらに歴史を刻む酒場もある。 「僕はお店を新しくするのは、とてもいいことだと思っているんです。幸運にも若い世代が引き継いだ老舗では、昭和の先達が育て成熟させた酒場の雰囲気や文化を上手に継承しています。若主人が切り盛りする店で、昭和をリアルタイムで体験したことのない若者が安らぎ楽しむ姿は、見ていて嬉しくなります」 再開発が進む一方で、近代的なビル群の真下に飲み屋横丁がたたずむ街も残されている。 「新宿(思い出横丁)や渋谷(のんべい横丁)、池袋(美久仁小路)のような土地もまた令和の東京です。再開発もいいけれど、ぜひ残してほしい東京らしい風景ですよね」