ファミコンは「日本発のイノベーション」ドラクエで人気爆発、世界に広がったゲーム市場 #昭和98年
日本が世界第2位の経済大国の地位を占めていた1983年7月15日、任天堂から家庭用ゲーム機「ファミリーコンピュータ」(以下、ファミコン)が発売された。当初は子ども向けの玩具扱いだったが、『スーパーマリオブラザーズ』(1985年)の登場で人気に火がつき、1986年発売の『ドラゴンクエスト』で空前のブームとなった。ファミコン誕生から40年、いまや日本が世界に誇る巨大産業に成長したゲーム市場。ファミコンは日本発のイノベーションではなかったか。ゲームとその歴史に詳しい3氏に聞いた。(文・写真:ジャーナリスト・岩崎大輔/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
■よゐこ・有野晋哉さん「海外でも『KACHO(課長)!』と声かけられた」
「ファミコンが発売されたのは1983年、僕が小学6年のとき。当時の価格は1万4800円と高くてね。まだみんなが持っていたわけではなく、お金持ちの家にしかなかった。そんな金持ちの友だちの家に行くと、『マリオブラザーズ』(1983年)のゲームソフトがあって、やり放題。高価なお菓子も出してくれるし、『絶対こっちやん!』となって、放課後そいつの家にみんな集まって遊ぶようになった。それがファミコンの最初の体験ですね」 少年時代の思い出をそう語るのは、お笑い芸人「よゐこ」の有野晋哉さんだ。2003年11月からフジテレビCS放送のバラエティー番組「ゲームセンターCX」に出演し、「有野課長」としてファミコンなどのレトロゲームに挑戦するコーナー『有野の挑戦』は約20年続く人気企画だ。「ゲーム実況の祖」「ファミコン好き芸人」とも称される。
有野さんが自宅でファミコンに触れたのは、発売から3年後の1986年。社会人となった兄が『影の伝説』という忍者のアクションゲームを買ってきて、一緒に遊んだ。ただ、学校で盛り上がっていたのは同年に発売されたロールプレイングゲーム(RPG)『ドラゴンクエスト』だった。 「当時のドラクエはセーブ機能がなく、『ふっかつのじゅもん』というひらがなのパスワードをメモして再開時に入力するやつ。友だちと集まってゴーレムという強敵をやっつけようとしたけど、持ち主が『ふっかつのじゅもん』を書き間違えて、どうやっても入れない。結局ゴーレム登場のだいぶ手前から始めたけど、晩御飯の匂いがしだして、帰る時間やなってゴーレムにも会えずに……ということがありましたね」